雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2017/02/04 23:59:00|
久々に会う中学校野球部後輩の仲間たち
我々団塊の世代の中高校のクラブ活動においては先輩後輩の関係は絶対だった。
シゴキという名のもとに強要されたイジメや体罰は大袈裟に言えば日常茶飯事。
社会人になっても学生時代の部活の先輩後輩の人間関係は継続していた。
己にとってそんな意識は毛頭ないが、世間の目には如何映っているのだろうか?

今晩は、そんな中学時代の野球部の一年後輩の仲間の集りに55年振りに参加。
果たしてどんな感覚で打ち解けられることやら・・・

1週間前の28日に同級生の新年会で集った嵯峨野が本日の会場。

仲介の山本先生とHAS,SIO,SUN,の3君が既に揃っていた。飛入りでお邪魔かと
思ったが、会った途端半世紀振りの再開とは思えない打ち解けようだった。

小生の中学校の野球人生は平凡そのものだったが、先輩後輩には実力者が勢揃い。

三年先輩には、作新学院が甲子園で初めて春夏連覇した時に大活躍したレギュラー 
5番ライト鈴木先輩と8番キャッチャー田中先輩がいた。お二人は太平中学校時代は
バッテリーを組んでいた。甲子園から宇都宮に凱旋した時に中学校代表で大通りの
凱旋パレード見送りに参加したことが記憶に生々しい。

今日会った1年後輩のSUN君は桐生高校稲川監督の全盛時代に、甲子園で3塁打3本
をかっ飛ばし、西の平安・江島 東の桐生・SUNと当時の報知新聞の一面を大きく
飾り注目のドラフト候補生だった。江島は中日ドラゴンズで活躍し脚光を浴びるが、
SUN君は諸事情でプロの大舞台での活躍はならなかったのが悔やまれる。

後輩は皆高校でも頑張り、社会人や学生野球の一辺が垣間見られ貴重な話を拝聴。
人其々の人生は本人以外には計り知れない路がある事を改めて思い知らされた。

83才になられた山本先生も相変わらずで、外見も声の大きさも 教え子に一歩も
引けを取らない程のお元気さ。

4時間があっという間に過ぎた楽しいひと時だった。


 







2017/02/03 23:23:23|癌との共存
病室の天井を眺めて思った事
今回の入院で室内環境が変わった事に寄り、一晩眠れなくなってしまった。
室内TVを観たり、2月に退院してからの事など考えていたら益々冴てきた。
何となく考えを纏めていくと、取り留めのない事が浮かび上がる。
出も遣らなければならない事だ。  もう直ぐ 人生七十古来稀也 

そこで
終活の行動計画

@処分と新しい決断

孫8人の積立預金計画が挫折
その対策として学士保険の検討
自宅の対策、家の取壊しか・再活用か・
半年後のM売却によるローンの早期返済
遡って確定申告の手続き


A身の周りの活動

稲門会の積極的な参加
観光ボランティアの自己責任における参加
興味津々な歌麿との拘わり合い
ギター合奏団への復帰
スキーや山登りの可能性追求
友と旅行やカラオケ


B身辺整理

家の中の整理
断捨離
何時まで可能?母との現状維持の生活








2017/02/03 18:57:02|
おおひら日帰りスキー申込と古き新しき仲間
先月号の市政だよりに載っていた、恒例のおおひら日帰りスキーの
受付締切日が2月2日だった事を思い出し、昨日病院から電話で申込
と3日の午前中ならОKとの返事があり、迎えに来てくれたSEO君に
太平支所のスポーツ振興課まで送ってもらい手続きを済ませた。

と言っても6日のPM6時過ぎに抽選会がありそれに外れればオジャン。
その時はその時だが、偶然にも今迄抽選で外れた事は一度もない。
過去に3度連続して行っているが昨年は義母の49日で行けなかった。

今回は体調体力の事もあり、友も誰も誘いに振向かず諦めていたが
この機会を逃すと永遠に滑れない事にもなるかもと、いきりたった。

帰り道、NAK君の所に寄ってもらい、初めてお宅訪問。小生の手配ミ
スで、彼とは今迄SEO君を通してしか碌に連絡も取れなかったのだが、
先日の新年会でも、うっかりメール交換も忘れて別れていたのだった。

これでまた 残りの人生に頼れる同級生仲間が 加わってくれた。







2017/02/03 18:06:30|癌との共存
入院経過               2月3日
30日
一カ月半振りの入院に多少の戸惑いはあったが、ISI君に病院まで送って貰って
本館7階東棟1705室にて着替えを済ますと直ぐに落ち着いた。顔馴染みの看護師
山の顔は目に付いたが、患者さんに顔見知りは皆無だった。

2月1日の月参りの事が気になったので、2男に連絡すると「お安い御用だ」以外
にも簡単に引き受けて呉れた。今までは入院しても必ず弟が母の傍にいてくれる
ので、家に電話することはなかったが、今夜だけは母の声が聴きたかった。

31日
今朝から抗癌剤点滴治療開始。一日で6本の点滴を朝10時半から4時過ぎ迄続ける。
残りの2本はそこから継続で2日目と3日目の4時過ぎまで連続48時間流し続ける。
病院食だけはまだ復旧出来ず、弁当給食になっていて、温かい食事が望みの味覚
障害の小生の舌にはこれが合わない。でも2日目迄は何とか完食した。

1日
食欲はあるのだが冷たい弁当が小生の口に合わない。半分は残すようになった。
その所為かどうか知らないがお通じも悪くなった。

2日
天気予報が朝の寒さを伝えたので新館9階に上り富士山を眺めた。デジカメ持参で
勢い込んだがカメラが電池切れ。よくある事と言って片付けられない最近の愚行。
明日退院で医療費が約8万円と告げられた。8月から5ヶ月間、高額治療費補助の影
響で殆ど7万円以下で済んでいた筈なのにと思ったが、1月が2日間、2月が3日間と
重なったので月単位の1月分の請求補助が満たされずの為かと思う。

3日
9時に荷物を整理して病室を出、ディルームで9時半迄に待機の指示があり、その間
7階から階段を歩いて下り、ドクターヘリ待機所の北側の庭園を30分間軽く歩いた。
SEO君が10時前から迎えに来てくれて、10時過ぎに病院フロントで乗り込む。







2017/01/30 10:20:00|癌との共存
1か月半振りの入院          1月30日
28日の午前中大学病院から30日入院の連絡が入り、送り迎えの足に
困っているとブログにも投稿したところ、ISI君からご厚意のコメント
をいただき、素直に甘えさせて貰うことになり とにかく大助かり。

昨夜は携帯に電話があり、一昨日の朝、市役所1階で出逢ったギター
仲間のARAさんが、ブログを見て「独協に行く用があるので、もしよ
かったら送るよ」と これまた 有り難いお言葉。
                  
9時に歯医者に定期検診の予約していた。キャンセルするか迷ったが
入院時間を少し遅らせればと、歯の治療を優先させた。

ISI君には9時40分に迎えに来てもらい、10時20分に入院手続き済ま
せ、本会7階東病棟に向かった。 病院の体制もだいぶ整ってきたら
しいが、未だドライクリーニングは使用不可と言われた。でも短期
入院で着替えも十分用意できてるので全く支障はない。

とにかく病院の生活にやっと戻れて一安堵! これも不思議な感覚!