我々団塊の世代の中高校のクラブ活動においては先輩後輩の関係は絶対だった。 シゴキという名のもとに強要されたイジメや体罰は大袈裟に言えば日常茶飯事。 社会人になっても学生時代の部活の先輩後輩の人間関係は継続していた。 己にとってそんな意識は毛頭ないが、世間の目には如何映っているのだろうか?
今晩は、そんな中学時代の野球部の一年後輩の仲間の集りに55年振りに参加。 果たしてどんな感覚で打ち解けられることやら・・・
1週間前の28日に同級生の新年会で集った嵯峨野が本日の会場。
仲介の山本先生とHAS,SIO,SUN,の3君が既に揃っていた。飛入りでお邪魔かと 思ったが、会った途端半世紀振りの再開とは思えない打ち解けようだった。
小生の中学校の野球人生は平凡そのものだったが、先輩後輩には実力者が勢揃い。
三年先輩には、作新学院が甲子園で初めて春夏連覇した時に大活躍したレギュラー 5番ライト鈴木先輩と8番キャッチャー田中先輩がいた。お二人は太平中学校時代は バッテリーを組んでいた。甲子園から宇都宮に凱旋した時に中学校代表で大通りの 凱旋パレード見送りに参加したことが記憶に生々しい。
今日会った1年後輩のSUN君は桐生高校稲川監督の全盛時代に、甲子園で3塁打3本 をかっ飛ばし、西の平安・江島 東の桐生・SUNと当時の報知新聞の一面を大きく 飾り注目のドラフト候補生だった。江島は中日ドラゴンズで活躍し脚光を浴びるが、 SUN君は諸事情でプロの大舞台での活躍はならなかったのが悔やまれる。
後輩は皆高校でも頑張り、社会人や学生野球の一辺が垣間見られ貴重な話を拝聴。 人其々の人生は本人以外には計り知れない路がある事を改めて思い知らされた。
83才になられた山本先生も相変わらずで、外見も声の大きさも 教え子に一歩も 引けを取らない程のお元気さ。
4時間があっという間に過ぎた楽しいひと時だった。
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