雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
CATEGORY:にっぽん百名山

2017/10/06 14:22:00|にっぽん百名山
木曽駒ヶ岳③
フロントには人影がなかった。団体客の食事の時間で全員対応に追われていた。従業員らしい女性に声を掛けると彼女はタビックスの添乗員だった。親切にも支配人を呼びだしてくれた。

支配人に事情を話し、ロープウェーに乗り遅れたので何処でもいいから是非停めて欲しいと頼むと、お気の毒ですが全く部屋は空いていませんと一刀両断で断わられた。傍にいたタビックスの彼女も、添乗員の泊まる部屋もなくお客様と相部屋ですとの事。食事抜きで売店の床でも構わないからと嘆願すると、「ちょっと待ってください。今ロープウェーの点検整備で係の人が登ってきているので、担当者に作業終了後、乗せて貰えるか如何か頼んでみてあげます」と親切にも相談しに行ってくれた。捨てる神あれば拾う神ありと思える程ありがたい言葉だった。結果は、あと2時間程で作業が終わるのでそれでよければそれまでここで休んでいてくださいとの返事。本当にありがたい言葉だった。その途端に、厚着した上半身の下にこもった汗が急に冷えてきた所為か、体が急に震え出し、震えが止まらなくなった。あわててザックの中から防寒具を取出して着込み、自販機のホットカフェオーレで体を温めた。

その間に携帯でUEN、SEO両君に連絡を取ると、今は駒ヶ根駅にいて、バスと電車で帰る算段を探しあぐねている様子。時間的にどのルートを使っても今日中に栃木に帰るのは難しいみたいだ。

そうこうしているうちにロープウェー作業終了の時間になり、中央アルプス観光株式会社索道事業部主任の伊澤真一様が見えて、ロープウェーの下りと、バス路は個人の車で菅の台バスターミナルの駐車場まで送っていただいた。なけなしの金品を提示するも受取って貰えなかった。
でも言葉以上に大切な真心をいただき、不十分ながら誠心でお返しをさせていただけたと思った。
本当にありがとうございます。

本来なら本日は山中で1泊し、明日帰らなくちゃならないところを、運よく下山でき、駒ヶ根駅で仲間2人を拾い深夜12時半に何とか帰宅出来た。
小生の大失態で招いた災難ながら、何とかこれ無事に終了出来たので先ずはありがたき哉。

迷惑をかけた友二人には平身低頭にての平謝りに尽きます。






2017/10/06 13:28:00|にっぽん百名山
木曽駒ヶ岳②
木曽駒ヶ岳登頂下山までは、弱者に基準を合わせて登山したので、疲れが殆どでなかった。
昨日抗がん剤治療から退院したばかりで体力も充分でないのに、足取りは極めて軽かった。
全く疲労感が無く、久々の山に浮かれ、UENさんを残し宝剣岳にも登ろうと提案していた。
でもSEO君もおり、結局一人で登る破目になる。登頂は無事達成するも次の行動が大失態。

UEN女史SEO君は先に八丁坂をおりて、ロープウェー駅にて待つ約束を取り付けて、登頂後に急いで追いかける手筈になっていた。往復50分足らずで宝剣岳を下り、急げば途中で追いつけるかもと先を急いだのが第一の間違い。宝剣岳山荘脇の道標べを見間違えて、反対側の駒飼の池に降りる沢道を下ってしまったのだ。周りの山の気配が少しおかしいとは想ったが、早く追付きたい一心で下山のスピードを上げた。30分くらい経った時にコースが違う事に気付いたが、でもこの下で千畳敷カールに合流すると勝手に思い込んでいた。たまたま下から登って来た3人組のパーティーに尋ねて、完全にコースを外れていることに気付く。
先に降りた二人に携帯で連絡しようとするも、山中での携帯の繋がりが悪く何度も連絡したがうまく繋がらない。やっと繋がってもすぐ切れる。最終のロープウェーの運行時間は午後5時。まだ1時間半あると思っていたが。30分下りた登山道は登り返すのに1時間はかかる。今まで順調だった体力が落ちてきて、足の疲労と膝の痛みが激しくなってきた。コースを間違ったという後悔のストレスと、心の不安が疲労度を倍増させる。昨日病院で指摘された血圧が170前後とかなり高い結果だったことも頭をよぎった。何とか稜線まで戻ると時間は既に4時30分を超えていた。普段ならともかくこの状態では30分ではロープウェー駅までは戻り切れない。
もは何をしても時間迄に戻れない事態に直面し、やっと繋がった携帯で、自分は乗り遅れても山頂駅のホテルに泊まるから、二人は運行時間内にロープウェーで麓に下り、最悪 麓で宿をとるなり、何らかの対策を立てて欲しいと、繋がり辛い携帯で最低限の行動依頼を促した。
乗越浄土から八丁坂を下るのは難儀だった。普段なら30分で下りられる坂に1時間以上も要した。
下り始めると直ぐに「カールの麓からロープウェーの最終時刻は5時です」とアナウンスが聞こえてきた。これで麓のバスターミナル駐車場までの下山は完全にアウト。
5時半すぎると辺りは少しずつ色を失ってきた。十五夜の真ん丸お月さんが南ア甲斐駒ヶ岳の山上に大きな赤オレンジ色で照り映えていた。しかし優雅な風情を楽しむゆとりはまったくなく、必死に歯を食いしばり一歩一歩登山道を下りて行った。途中何度も携帯をいじるが繋がらず、山頂駅にも連絡することが出来なかった。辺りはだいぶ暗くなっていたが月明りで足元は確かだった。
6時前にやっとロープウェー山頂駅に到着。
既に駅はロックされていたが、ホテルの売店にやっと辿り着き、フロントに向かった。






2017/10/06 12:10:00|にっぽん百名山
木曽駒ヶ岳①            10月5日 
天気予報では10月5日は日中晴天ながら6日は降水確率70%。6日に木曽駒ヶ岳に行く予定
になっていたが、急遽5日に変更になりISH君は芋掘りの都合で行けなくなってしまった。
今回の旅は千畳敷カールの草紅葉と木曽駒ヶ岳一帯の紅葉見物が主体なのでお天気優先。

朝3:30栃木出発の予定だったが、前夜に睡眠導入剤を服用した為にUENさんが来た時には熟睡中。その所為で出発が30分延びてしまった。SEO君を拾い、東北道、圏央道、中央道で一路駒ケ根へ。菅の台バスセンターに着くと7:45発しらび平ロープウェー駅行きのバスに、行列が出来ていた。乗ろうとしたが満車で一バス見送った。お天気は朝の内は曇ながら、雲が高く視界は極めて良好。

しらび平から山頂駅までの64人乗りロープウェーでは絶景を満喫した。渓谷を縦に裂く大小の滝や岩壁にシラビソやコメツガに交じりダケカンバの黄葉やナナカマドやもみじの紅葉が錦秋をキャンパス一杯に彩っていた。でもゴンドラ内は身動きが取れず、写真は1枚も撮れないのが残念だった。

ロープウェーを降り千畳敷カールに飛び出すと、眼前に岩山の岩稜が迫って来た。いつ見ても素晴らしい光景だ。急に寒さで体が震えた。気温は4℃。上着を6枚も重ね着して寒さを防いだ。

今回は景色を見る為に来た筈だったが、時間も早いし折角なので、少し歩こうと千畳敷カール内の登山道をトレッキングした。千畳敷カールを横切り八丁坂迄歩いて、食事は歩き疲れた地点で食べる事に決め、この坂を行けるところ迄行こうと意見が一致し、乗越浄土までゆっくりチャレンジ。

なんと3人とも標高2858mの乗越浄土迄意外と簡単に登り切ってしまった。稜線上の宝剣岳山荘前のベンチで待望の朝食にありつく。景色は満点で途中から陽も差してきて最高の登山日和。こんなロケーションで食べる食事は何を食べても最高で饒舌に尽くし難い。右手に宝剣岳2931m、カールの中腹に赤い屋根のロープウェー駅があり、駒ケ根の平地の先に南アルプスの山々がデンと鎮座している。鋸岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ケ岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳、その上に富士のお山がくっきりと浮かんでいる。ここ迄の南アは登頂済みの山が多いが、その先は未登頂の山ばかりで塩見岳、小河内岳、荒川岳、赤石岳、聖岳、上河内岳、茶臼岳、光岳と果てしなく稜線が浮かんでいる。

食事を済ませ、山小屋の有料トイレを借りて出発の準備を整えると、3人が目指すのは木曾駒ヶ岳。
せっかく日本百名山の中央アルプス木曽駒ヶ岳に来たのに登らないのは勿体ないと気持ちが急変。

先ず木曽駒ヶ岳の前に鎮座する中岳2925mを踏破し、山頂に木曽側と伊那側それぞれの駒ヶ岳神社が存在する木曽駒ヶ岳2956mに登頂。体力差のある3人がまさか一緒に登れるとは思ってなかったので頂上制覇は感無量。然もここからの景色は独立峰の御岳山や乗鞍岳、槍ヶ岳と穂高連峰の北アルプスの峰々、妙高高原や美ヶ原、霧ケ峰、遠くに浅間山と秩父連山、手前に北八ヶ岳の蓼科山から南八ヶ岳の赤岳や横岳の岩峰と、お天気に恵まれた最高のシチュエーション。

帰り道は中岳に再登頂するのも難儀に思い、前回遭難者が出て通行禁止になっていた中岳を迂回するトラバース道を選択。一部険しい岩場の処もあったが、無事乗越浄土に帰って来た。

ここから本日の大失態が始まる。






2016/08/04 17:38:00|にっぽん百名山
日本二百名山一筆書き踏破 グレートトラバース2
     フラッシュバック 2015・10・18 小屋締め当日朝の白馬山荘にて
              既に窓は雪除けの戸板が打ち付けられている


NHKBSプレミアムで朝7時から15分間、毎週月曜~木曜日に放送されている
日本二百名山完全人力踏破のグレートトラバース2の番組の中で、今朝は175座
目の北アルプスの雪倉岳2,611m登頂の様子が放映されていた。
一昨年一筆書きで日本百名山を踏破したプロアドベンチャーレーサーの田中陽希
が、昨年は5月から12月にかけて北海道から南下して日本二百名山にチャレンジ。
今朝の放送では10月12日に猿倉山荘から白馬山荘、経由で片道9時間のコースを、
日帰りで踏破予定だったが、途中天候が激変し、白馬山荘で2泊を余儀なくされ、
14日にやっと天候の回復を待って白馬山頂経由で雪倉岳に登頂。

振返ると去年の10月17日が白馬山荘の小屋閉めで、その年の北アルプス登山の
ラストチャンス(冬山は辞退)だからと、友人SEO君と白馬岳に登っていたっけ。
大雪渓や白馬山荘の山小屋が懐かしかった。でもあの時は三日前の吹雪の爪痕
は残っていなかったような気がしたが、確かに新雪の踏み跡は一部に残ってた。
それにしても三日前に彼が山小屋に泊まってた事と、数日の違いであの蒙吹雪
に見舞われていたなんて、いまさらながら 考えただけでも身震いがした。

カテゴリーの中の、にっぽん百名山を改めて捲り直して、懐かしくなったが
でも考えたらそれ以降、一座も百名山にチャレンジしていないのが情けない。






2016/04/18 18:39:29|にっぽん百名山
1年前の九州五山
昨年4月23日から29日まで九州の山巡りをしたが、もしその時に今回の地震に遭遇して
いたらと思うとゾォーとする。
23日に鹿児島空港に降り立ち、レンターカーを1週間借りて、その日のうちに開聞岳に
登頂。鹿児島に一泊し翌日入山禁止の硫黄山を避けて霧島山の最高峰・韓国岳に。
阿蘇の麓の簡保の宿・阿蘇に一泊し、霧島同様火山活動の影響で入山が限定され阿蘇で
唯一許可されたのが最高峰高岳 への直登。
3日目の宿は祖母山山麓の民宿を目指したが休館中で、20㎞も下の竹田市街まで戻って
翌日祖母山を踏破。今宵の宿は日田市に予定するも、彼の地に着けば所在地は更地と化
して建物の跡形もなし。
準備不足があらわになった。今更宿を探す当てもなく、2時間かけて阿蘇の簡保の宿に
再投宿。怪我の功名で やまなみハイウェー を朝夕と往復でき素晴らしい阿蘇の景色
が堪能できた。
5日目に九重連山は久住山と最高峰の中岳は登れたが ぼうがつる 迄は足を延ばせな
かった。これで九州にあるにっぽん百名山の5山は完全踏破。
6日目の28日は予備日
になっていたが、せっかく九州まで来たので地元で評判の高い由布岳に登り翌日福岡空
港でレンタカーを返し、空路で羽田から栃木に帰った。

もし、今回のような地震が発生していたら、道路の遮断により阿蘇を中心にした移動が
思うように出来たか如何か・・・






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