いらっしゃいませ。ここは、聖書を真面目に勉強したい人たちの交流の場です。 まだ、よちよち歩きですがよろしくお願いします。管理者
 
2006/10/08 8:54:07|聖書
会社の直属上司がクリスチャン(序章5)
 日曜日の朝、あの方向にあるはずだから途中で誰かに聞けばいいや・・・。
間もなく9時か。
出かけよう。
10時までには着けるだろう。
“Sさん”に会いに行くために歩きだす。

道の途中で、会社の直属上司が前にいるのに気づく。
「あ、お早うございます。」
「お早う。どこ行くの。」

「・・・実は・・・・という訳で、教会を探しながら“Sさん”に会いに。」
「“Sさん”聞いたことないな。教会まで案内するよ。」上司の名前は“OGさん”と言う。
“OGさん”に案内されたのは、当時としては少し大きめな2階建ての民家。

 玄関を入ると、少しやせ気味のニコニコしたおじさんが出てきた。
「やぁ、いらっしゃい、いらっしゃい。」「この辺の好きなところへ座ってかまいませんから。」
こちらの話しなぞ聞かずに奥の方へ行ってしまう。この教会の牧師さんだ。

「・・・こんな所、座ってていいのかよ・・・。」
「・・・“Sさん”知らないって・・・。」

「面倒だな・・・。ま、いいか、座ってていいって言うから。」
「・・・あ〜ぁ」。

私、かなりいい加減なやつですね。今、お詫びします。“Sさん”ゴメンナサイ。







2006/10/07 11:05:54|聖書
合唱団員の中にクリスチャン(序章4)
 職場の合唱活動は楽しいものでした。

 さて、栃木市にも地域の合唱団があるのを御存知でしょうか。栃木市の文化会館内で定期的に練習をなさっておられて、今年50周年記念の定期演奏会を開くと聞いています。

 合唱の楽しさにのめり込んだ時期でしたが、もっと味わってみたいと思って、地域の合唱団にも参加させていただいた時期がありました。 積極的に楽しませていただいていたころです。

 11月初旬頃だったでしょうか。合唱団メンバーの“Sさん”が私に「教会に来て賛美歌を教えてくれませんか」と言われる。

 私は、「神も仏も思い込み」に過ぎないと思っておりましたから断わりましたが、“Sさん”が次の週もその次も、練習が終わるとそっと近寄って来て「あの・・お願いできませんか」と言われる。

 断わるのが面倒になって「じゃぁ行ってみます」と言ってしまったのです。帰宅しながら「あ〜ぁ」とため息。続いて「はっ」斉藤さんの教会はどこにある?・・。「あ〜ぁ」。

 人間関係を築く基礎的なこともわからない私でした。







2006/10/06 15:14:54|聖書
会社の先輩がクリスチャン(序章3)
 悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。
                                  箴言 15章15節


 人並みに就職してサラリーマン。同じ高校の先輩“Oさん”が前の席におられて、就業後の合唱サークル活動に誘ってくださいました。
 「とりあえず1回 きてみなよ」と言われて、断わる理由がないので参加してみました。
 眩しい女性が大勢。男性は女性の半分くらい。幼稚園児が使う小さないすに座って歌う。

 どこかで聞いた事がある易しい歌がほとんどでしたが、混声四部合唱に編曲された本格的な合唱曲でもありました。
 一回2時間ほどの練習時間で2曲程度、毎週一回の練習で5曲程度をおよそ半年間繰り返し練習します。

 別の表現をすると、楽譜が読めない人でも耳から憶えて、心に感じることを声に出せるようになるまで繰り返し練習すると思えば、およそ想像できるでしょうか。

 軽い運動的要素もありまして、練習後は“何かやった”という感触が残ります。声が普通に出る方なら、合唱は楽しいものですよ。

 “Oさん”は聖書の話は殆んどなさいませんでした。教会に誘うこともなさいませんでした。“Oさん”は仕事に関する事柄でもストレートに伝え、教え、かかわってくださいました。

 合唱は心に感じたことを素直に外に出すことを教えてくれました。(このことが後になって、私に重大な影響を与えることになります。)

 合唱活動は楽譜の読み方を少し教えてくれました。合唱活動は良い友人を与えてくれました。







2006/10/06 15:02:05|聖書
同じ物語が繰り返されて退屈(序章2)
 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43章4節)

 初めて聖書を読んだのは、中学生の頃でしたが、新約聖書「マタイによる福音書」の冒頭からカタカナの名前が続いてうんざり。病気を直し、悪霊を追い出し、暴風を抑制し、etc、こんな本がベストセラーかねぇと感じる程度・・・私の場合、聖書に対する好感の記憶はありませんでした。

 今思い起こそうとしていますが、なぜ読み続けたのか理解できません。「ルカによる福音書」の途中まで読んで投げ出してしまったのを覚えています。同じようなストーリーが繰り返される小説など、誰も読みたいと思いませんよネ。

 残念ですが、初めての方が、聖書を独力で読むのは非常に大変です。
 実は私は、互いに助け合って、互いにいたわりあって、互いに赦し合ってこそ、聖書理解が可能になるものと、今になってようやく考える様になっています。

 そういう訳で、私がこのブログで、聖書に戻って行くのはまだまだ先になりますが、すぐにこうした疑問を解決したいと思われる方は、近くの信頼できる教会の牧師さん(カトリック教会なら神父さま)に気軽にお尋ねなさることをお勧めします。

 喜んで教えてくださるはずです。(^o^)







2006/10/06 9:05:17|サッカー
圧倒的な差を感じないガーナ戦
 ガーナ戦、負けちゃいましたネ。でもVTRで観ましたが、圧倒的な差を感じないまま経過しましたよ。

 観るまえは、運動能力・テクニックの差を見せ付けられカナと思いながら観ていましたが、どうしてどうして日本選手の動きは見劣りしませんでした。

 あえて敗因を探すなら、瞬間的な動きの速さ(個人の能力)に違いがありましたでしょうか。このあたりに試合結果(0−1惜敗)や、ガーナのFIFAランキング23位に対し日本47位として現れてくるように感じます。

イビチャ・オシム代表監督の談話
 「巻は何回か、トライした」。
 「決定力不足?それが一番の問題だ」。
 「戦術的には何の問題もない」 マンマーク戦術は功を奏した。
 「満足しているとは思わないでください。満足なんかしていない」。
 「何か前進するヒントがこの試合になかったか。それを探しているところです」。
 「欧州でプレーする選手を呼ばない期間が長すぎたかもしれません」。

鈴木啓太選手の談話
 「世界を相手にできることと、できないことがわかった」。

巻誠一郎選手の談話
 「僕が未熟だから」。

播戸竜二選手の談話
 右側頭部を蹴られて流血。一時退場した。
 痛かったけど、あれで出られなくなる方がもっと痛いから」。
 「エシエンとかアッピアは体は強くて、判断も早かった」。
 「自分もしんどいとか言ってたら勝てない」。

 若い選手達が、世界レベルのサッカーを体験して、切磋琢磨しあって向上していくのを見ると、私にも対抗心が湧いてきたりして。(^o^;)