皆さんこんばんは(^−^) いかがお過ごしですか?
天気は良かったですが、風の強い日でしたね。 広瀬は風で髪のセットが乱れることが無いので平気なんですが、長い方は大変みたいで。お気を付けください。
さて、今日は「おふくろ」という題目ですが・・・・。
広瀬にも母親がおりまして。当たり前ですが。 生まれてこの方ずっと同居しております。
昭和15年生まれの73歳ですが、よく働く女性でして。 広瀬の家は昔は八百屋さんでした。上田屋という屋号でした。 広瀬が覚えている限り、遊んでいるのを見たことがありません。 正月も、盆も、暮れも働いていました。 祖父や祖母もおりましたので、嫁の仕事もあったでしょう。 姉や私をおぶって牛乳配達までしていたそうです。
親父が運送業をはじめて、ようやく軌道に乗ってきたかなという頃に、脳血栓で倒れました。おふくろが45歳の時ですから、28年前になりますね。 後遺症が左側に出まして、会話は達者ですが、左手は動かず、左足もろくに動きませんので、少しずつしか歩けませんでした。 それでも、運送業の事務仕事や配車を一手にこなし、広瀬の子どもが生まれれば、子守もしてくれましたし、ずいぶん面倒をかけました。
嫁が子供を置いて家を出た時も、誰よりも子供たちを気遣ってくれたのも「おふくろ」でした。 広瀬の家は2世帯住宅で玄関も台所もお風呂も別々なんですが、それもすべて「おふくろ」が自分でした苦労をさせるのが可哀想だという気遣いでして、それでも遊びに行く孫には目を細めて可愛がってくれていました。
ずっと働き通しで、病気で倒れ、それでも仕事仕事の毎日。 挙句に広瀬が政治を志た時も、強力な支持者になってくれていました。 「おふくろ」の人生で楽しいことがどれほどあったんだろうと考えた時に、広瀬はかなり親不孝をしているんだろうと思います。 楽をさせてやりたいと思っていても、まったく親孝行ができずにいます。
最近、体も自由が利かなくなり、なんだか急に老けて来たな・・なんて思っていた矢先に、家の中で転んでから具合がよくありません。
本人も弱気になっていまして、広瀬も心配はしていても、気の利いた言葉がでてきません・・・・。
子よりも親が先に というのは摂理ですが。 まだ、何の恩返しもできていないし。 孝行の真似事もしていない。 心配ばかりかけてる親不孝者に、こんなときどうしたらいいのか答えが見つからないでいます。 早く良くなって元気でいてくれるのがありがたいのですが。
こんな時ばかりと言われるかもしれませんが、子供にとって、親の体調は一番の気がかりです。 明日の朝からは、もう少し気遣ってあげられるように。
すいません。 変な話をしてしまいました。
では、またお会いしましょう(^−^)ノ
|