花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/05/23 9:10:53|その他
正造翁とN・B
 正造翁が、下野の民衆について
言い当てた文章にN・Bと書き込み
ました。先日、紹介した引用文です。
 
 高校の数学の先生が教えてくれ
ました。ココは大事だから、ノタビネだ。
 
 教えられたまま使っていたノタビネ、
検索したらラテン語で、注意せよの意味と
分かりました。
 
 県民性に注意せよ?マサカ!
notabene,不得意だった数学も
この先生には可愛がられました。喝
 







2021/05/22 10:31:53|その他
抵抗の政治家 門出
 田中正造、第一回目の投獄は
1868年(慶応四、明治元年)28歳。
世に言う六角家騒動。
 
 名目は、六角家若君結婚祝い
江戸屋敷新普請、ウラのネライは
筆頭悪用人の建設バックマージン、
私腹肥し。
 
 反対!ハンターィ!
田中正造反対の急先鋒、
悪用人驚いた。オレに逆らう
ものはイナイ!ハズなのに?
 
 田中正造、これを認めたら、
財政圧迫、領民へ負担転嫁が
始まり村を壊す!抵抗の政治家、
これが門出です。喝
 

 
 







2021/05/21 9:30:50|その他
正造翁の監獄ライフ スタート由縁
 後年、正造は、下野の民衆の視野の
狭さ、狭小で、危機の時でさえ団結
できぬという欠点をたびたび痛感した。
 
 正造に言わせると、そうした点こそが、
何も起こらなければのどかな日々が続いた
はずのこの恵まれた地域のくらしを
とりかえしのつかぬものにしてしまった
のだった。
 
 K・ストロング著「田中正造伝」
嵐に立ち向かう雄牛、p48。
 
 引用文、マイブログ「花ど真ん中の
里便り」と「note@Tochitter10」で
紹介させて頂きます。これが翁の
監獄ライフ、スタート由縁です。喝
 
 
 
 
 







2021/05/20 10:21:45|その他
正造翁の監獄ライフ
 なぜ君は牢屋にツナガレタノカ。
そこで経験したこと。学んだこと。
テーマを絞って正造翁に問いかけます。
 
 蔵の街図書館からお借りした
「田中正造とその周辺」赤上剛著。
正造は何回投獄されたかの章を
参考にします。
 
 赤上さんとは、正造翁関係の会合で
ご一緒させて頂いています。
 
 何回投獄されたか本章の一行めに
本人(正造翁)の言によれば五回
投獄され、約四年間獄中で過ごした。
               喝
 

 







2021/05/19 7:54:47|その他
二人の翁
 里便りで、敬愛を込め、翁と呼ぶ
人物が二人います。
 
 一人は田中正造翁、もう一人は、
昭和の巌窟王、吉田石松翁です。
 
 再審後、郷里の小山に戻った吉田翁の
姿を蔵の街警察署でよく見かけました。
 
 再審請求、無罪に尽力した日本の
七人の新聞記者。話を聞かされ、
秘かに憧れ〜記者人生の原点です。喝