花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/10/06 11:53:11|その他
鉱毒国会 不正追及
 「三才ノ少児ガ見テモ、
此位ナコトㇵ理解ガ出来ル
コトデアル、」
 
 獅子吼する田中正造!正造の
演説が、やがて、国会名物に。
 
 翌2日目、4番、田中正造君、
「草山ト云フノㇵ、草ノ生ヘタ山デ、
木ノアル山ㇵ山林ㇳ云ヒ、」
 
 草山と言う名義で、安生順四郎
(当時、栃木県の郡長)に払下げた
三千七百町歩ノ山ㇵ、隅カラ隅マデ
木ガ生ヘテ居ル」
 
 「払下ノ代金ㇵ僅ニ五百円デアル、
木ノアル山ヲ草山ㇳ云フ名義デ、是ㇵ
明治十八年デアル、ドウ云フ次第デ
斯様ナコトガ出来タカ、」
 







2021/10/05 10:00:15|その他
明治25年度鉱毒国会 傍聴記
「議長」4番議員、田中正造君。
田中正造、登壇「鉱山取締上ニ
付イテ、欠ク可ベカラズ(現地往復)の
旅費と聴きました」
 
「鉱山ノ取締ト云フコトハ、我農務省ㇵ
少シモシナイ、何処ヲシテ居ル」
 
「鉱山ニ往復スルノ旅費ヲ減ズル〜
寸分モ減ズルコトガ出来ナイ、寸分
トハ何事ダ、金銭ノ多寡ノ寸分ト云フ
ノカ」
 
 「政府ㇵ鉱山ノ監督ヲ怠リ、人民ガ
塗炭二苦ミーーー」田中正造の質問が
続きます。喝







2021/10/04 12:29:51|その他
公害の原点 鉱毒国会傍聴記
 明治二十四年(1891)十二月
十八日、代議士田中正造は、
第二議会へ始めて「足尾銅山鉱毒
加害の儀に付質問書」を提出して、
茲に足尾銅山鉱業停止の火蓋を切った。
 
「引用」
木下尚江著、政治の破産者・田中正造。
 
 ナラバ、この模様を取材するため、国会に
臨時の記者席を設けて貰いました。
 
 明治二五年度予算案農商務省所管経常部に
つき質問 明治24年12月24・25日
〇田中正造君(四番)ハイ!
 
 
 







2021/10/03 11:15:46|その他
人間 田中正造 〜序論〜2012・03・01再掲
 足尾鉱毒事件とは?一言で言えば、
鉱毒が流された渡良瀬川両岸にある
栃木、群馬両県の県民性の違いを
象徴する事件です。(雲竜寺は飛び地)

 去るも残るも谷中村、カカアまで
押し出した直接請願、二つの出来事に
県民性の違いを見ることが出来ます。

 義人、神格化、祭り上げられる田中正造に
疑問を感じて始めた正造取材に、さらにプラス、
「鉱毒事件と県民性」県民性を知らずして、
事件を語る勿れ!

 大丈夫!?大風呂敷広げて!
波風立てるな、オレハオレ、カカア天下に
カラッ風、お互い隣り合う県なのに、県民気質は
マルデ逆!平均的日本人が多い栃木県、
国定 忠治が生きたシンシュの精神に富む群馬県、
ドコニアルノカトチギトグンマ、マタオイデ。







2021/10/02 10:11:10|その他
鉱毒証言 立冬十月渡良瀬
「立冬十月の節、渡良瀬川、
みよ小砂利のあります処を」
「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」
庭田源八著。二十四節気、
冬です。
 
 「鮒や鯰や鰻が多く取れました。
こがもやおし鳥が多く居りました。
不断(普段)水をくゞり、魚をとり、
餌にし喰居りました」
 
 二十四節気、冬は、
立冬十月の節
小雪十月
大雪十一月の節
冬至十一月中之節
小寒十二月の節、
そして
大雪十二月の節。
 
 二十四セッキのキは気象の
気、こころの気。喝