花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/10/16 10:54:51|その他
一筆啓上 内助の功
 明治24年(1891)11.29日
     小中 田中拝
「父死去。昨日帰宅、本日埋葬。
明日ㇵ帰京ニ付、右申上候。頓首」
 
 正造一言挨拶は「おせん泣かすな」に
マケズ劣らず。コレもソレもアレも〜
妻、カツ夫人の陰の力です。
 
 正造が心配した葬儀代、カツ夫人が
負担、一切合切の行事を陰で執り行い、
正造サンは、トンボ帰り。
 
 大事な国会での仕事、一か月後の
足尾銅山鉱毒事件、国会初質問、晴れの
舞台に立つコトが出来ました。カツ!
 
 
 







2021/10/15 8:14:27|その他
正造サンの手紙〜蓼沼丈吉〜21年2月21日再掲
 正造さんが真っ先に「国会議員を
辞めるよ」と伝えた蓼沼丈吉は、その後
周りの勧めもあって、衆議院議員に。
 
 旧田沼町出身、衆議院議員、百姓兼
商人の名刺を刷り、会う人に手渡して
いました。
 
 今回「なぜ君は国会議員を辞めて
直訴に奔ったのか」田中正造書簡集で
丈吉サンの存在知りました。
 
 国会内外の言動もユニークと
伝えられ、正造二世の面影を
感じます。喝







2021/10/14 12:24:35|その他
国会議員 辞めました
 謹みて栃木県第三区衆議院議員
撰挙人諸君に申上候〜蔵の街図書館より
お借りした田中正造全集に「国会議員を
辞めました」
 
 明治34年(1901)10月25日付け、
地元後援者に宛てた正造翁のハガキ、
初めて拝見、文面、一部引用します。
 
 数年来足尾銅山鉱毒被害の救済に
奔走していたため〜、内治外交の大政に
獻替して〜国家に対し、諸君に対し、
慚愧忸怩、議員の職を辞退〜。
 
 是より諸君と共に粉骨砕身、鉱毒問題の
解決に従事支度候間 此段諸君に御報告〜 
 二白 目下郵便料に乏しく云々。喝
 
 







2021/10/13 9:10:14|その他
田中正造 宅配
 蔵の街図書館の図書宅配を
希望、登録し、コロナ解除後、
今回、田中正造全集書簡集4巻が
届きました。

 ​​​​​​田中正造全集は全17巻、別巻1,
自伝、論考。県会記録。衆議院演説集。
日記そして書簡集。
 
 今回は、田中正造、国会、鉱毒事件に
ついて、支持者に手紙で何か伝えていないか、
正造翁のこころの内を知る手がかりは?
 
 残念ながら答えは〜。ネバーギブアップ!
書簡集4800通の手紙と田中正造年譜の照合が
楽しみです。喝
 
 
 







2021/10/12 9:08:17|その他
鉱毒証言 小雪十月中の節渡良瀬
 関東平野、秋色漂う渡良瀬川、
今は亡き庭田源八さんが、鉱毒で
奪われた川魚漁の思い出を
綴っています。
 
 舟に乗て(渡良瀬川)に出て
参り升と、岩鼻や小魚が多く
集まりて遊でおりました。これを
投網で〜。
 
 其他五尺も七尺も深き処には、
さい、鯉、鯰抔が淵籠と申しまして
多く居りました。是をやすにて突て〜。
 
 弐拾歳以下、青年諸君はこの例を
知りません。鉱毒被害のため、
少しも居りません。