花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2012/05/10 6:32:04|その他
筆占い

 田中正造が書く、正造の
造のシンニュウ(之)は、
美しく、勢いと味があります。

 田中正造遺墨展(佐野市)で観た
正造の造のシンニュウは、そのまま長く
ハシッテいました。

 生家にある「愛」の正造、造の
シンニュウは、穏やかで、上に
向かっています。

 文は人なり、書は人を表す。
正造死して、百年後の今は?
    マタオイデナンショ。







2012/05/09 7:07:20|その他
青ェ空

 「予は下野の百姓なり」
木暮実千代の旦那、日出吉は、この正造の
セリフを真似て、おれは栃木のどんびゃくしょう、
と名乗っていました。

 閑話休題、
のみちくりしらみむづゞゞはいくそのたまる額の汗を
なめつゝ これが正造、下野、栃木県人の証明です。

 記者クラブで、栃木出身の記者が、原稿を電話で
送っていました。「お江戸のイだよ、井戸のエだよ」
イとエが混在し、罷り通る不思議な県です。

 もうお分かりですか。歌のはいくその、はいは、はえ、
蝿くそ、最初、しらみがムヅムヅ這い回っていると読み
苦労しました。

 正造が詠んだ狂歌に近い和歌はおよそ一千首、
人ならばしらみはいくそなめもせよ額の汗にいぼししたゝれ
                    (烏帽子 直垂)
 ユーモアがあって、翻訳も楽しからずや、マタオエデ。








2012/05/08 7:01:57|その他
西瓜

 八十八夜の別れ霜、連休明けを待って
コダマ西瓜の苗、赤、黄、合わせて十株、
フエンス沿いに植えました。

 ツルが伸びて、フエンスにからまり、
真ん丸い西瓜がぶら下がる趣向、来年は、
西瓜の直売所を計画しています。

 「ババアにもやってくれ」病床の正造が
口にした見舞いの西瓜、よほど旨かったのかー、
鉱毒闘争の同志、カツ夫人に、初めて見せた
夫婦の味です。

 この夏、こちらにお出掛けの節は、お立ち寄り
下さい。お待ちしています。デハ。
(写真は、去年初めて出来た空中栽培スイカです)







2012/05/07 6:53:42|その他
画竜点晴アリ

 正造没後、67年ぶりに公開された
彼の遺言が、お芝居になり、鉱毒反対
闘争の拠点になった現地の寺で、演じられました。

 臨終の宿を引き受けた農家の人が、栽培した
自慢の梨を劇団の人に食べて貰おうと籠一杯、
持参しました。

 ところが「此処も敵地だ」のセリフ!「なんで俺の家が!」
それはナシよ!怒ってそのまま、梨を持ち帰りました。
これは知人が、ご本人から、聞かされた話です。

 敵地は、その後いくつか広く解釈され、農家の人も
オレの家は、敵地じゃない!と、納得しました。

 「此処は敵地だ」鉱毒との闘いに生涯を捧げた正造の
貴重な遺言、この一言を遺さなかったら、正造はナシよ!
敵地の真意、吟味不足!彼のこころは、未だ理解されていません。

 海は青くて広い、モット広いモノがある。
それは果てしなく広がる大空だ、ダガモット
広いモノがある、ソレハ正造、人のこころだ。マタオイデ。
 







2012/05/06 6:58:25|その他
海の心 空の心

 海そらと同じこゝろニなりしより
たゞよの中ハあわれなりける 正造

 正造、議員辞職し、明治天皇へ直訴
二年後の1903年(明治36年)彼、63歳、
心のうたです。

 田中正造翁余禄(下)島田宗三著に、
静岡県掛川町(当時)に於て(正造)
陸海軍々備全廃意見を発表す。とあり、
この時、海無し県の正造が、海を見ています。

○此の辺の猟師の取る魚ハ京大阪ニ行。略
土地のものハ食せず。
○仙台の鰹節を偽造シテ静岡の名にてうる。
十八円ガ四十円トナル。
 全集日記に記述があります。
 
 叉、大雨の記録もー、足尾ハ五時間ニ
二百ミリ、静岡二十時間二百ミリ。マタオイデ。







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