花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2013/06/30 6:09:37|その他
正造翁と富士山D

 正造翁が明治28年(1895)知人に
出した手紙の一節、妹りんのプロフィルです。

 りんベン強毎朝必ず六時ニ起キテ書ヲ読メリ。
兄兼三郎ハ時ニ至ラザレバ起キズ。

 夜ルハりん十二時ニ至ラザレバ臥セズ。
正造ハ夕飯シノ膳ヲ去バ直ニ寝ル。

 その妹りんが、兄正造翁に異変が起きると
富士山に、必ず願を掛けました。デハ







2013/06/29 6:37:08|その他
正造翁と富士山C

 正造翁と富士山を結びつけたのは、
彼の幼き日の悩み、記憶力でした。

 当時お正月は、書初めを親戚に配って、
ご褒美を貰うのが慣わし、子供の唯一の
楽しみでした。
 
 七歳の正造は「何て書いたの?」
聞かれたら「ドウシヨウ!?」
ひとり、悶々としていました。

 エイ!氷を割って、水に飛び込み、
「ナニトゾ、記憶力を増し給え!」
富士に祈りました。利発な妹りんの
存在も大きかったようです。デハ







2013/06/28 7:30:26|その他
正造翁と富士山B

 予は下野の百姓なり、で始まる
田中正造昔話に、予は性来口訥にして
且つ記憶力に乏しかりし、略、

(続いて)左れば予も自ら憂憤して
独り富士浅間を信仰し、云々、翁この時
予が七歳の時なり、富士山との出会いを
振り返っています。

 「ところが従来の(正造)研究では、田中正造と
富士講(富士浅間信仰)との関係に、まったく光が
あてられなかった」小松裕著、田中正造の近代p599

 これに光をあてずに、正造翁を語るなかれ!
               デハ







2013/06/27 7:06:02|その他
正造翁と富士山A

 「ふじの山ニ登る人ハ頂上ニハ
何かあるならんとおもふて登ハ皆
凡人の常なり。而も登りて見れバ
何もなし。よしあしともに我こころ
のみとハ、仏信者の秘訣であるべきか」

 明治37年(1904)正造翁が黒澤酉蔵宛
書簡の一節です。この一節は、正造翁の
思想形成を解くカギで、後々、辿ります。

 大ぞらでみたら社会ハ面白の
ふじの高根もゆきのだるまもI336

 案外重視されていないことだが、
幕末期の田中正造は、富士講の
熱心な信仰者であった。(小松裕)
「参考引用文献」
 田中正造の近代 小松裕著の一文に
背中を押され、翁と富士山の絆を探します。
            デハ








2013/06/26 5:50:39|その他
正造翁と富士山

 田中正造は、富士山を引き合いに
数多くの歌を詠んでいます。

 富士山が世界遺産に登録され、これを
機に、翁と富士山の旅を繰り広げます。
先ずは、歌の数々をー

 非戦主義 
海空をつつめるほどのこゝろせバ
ふじひまらやもふところの餅 全集I350p他
 満州遼東戦酣なるの秋 正造戯ニ書す

 注、ふところの餅は、昔、野良仕事に米と砂糖を
お湯で練った餅をふところに忍ばせ、弁当代わりに
していた。翁にかかっては、富士山も懐入り、デハ

 







<< 前の5件 [ 2391 - 2395 件 / 3887 件中 ] 次の5件 >>  << 最新の記事へ >>