花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2020/10/05 9:44:37|その他
余燼
 田中正造、1880年(明治13)
栃木県議会議員に初当選。
 
 当時、栃木県庁所在地の
蔵の街で議員活動を軸に
山本呉服屋に隣接する定宿、
お寺で自由民権運動の寄合を〜
 
 山本有三、呉服屋の長男に
生れる(1887年)医者、この子は
丈夫に育つかどうか。
 
 下野新聞の前身栃木新聞創刊、1878年。
その後、自由民権運動を盛り上げる
ため再刊。田中正造、編集長。喝
 
 







2020/10/04 10:09:48|その他
なぜ「造」か「蔵」は?
 田中正造 1884年(天保2)11月3日、
生まれ、父、富蔵、幼名 兼三郎。腕白。
 
 山本有三、1887年(明治207月27日
生まれ、父 元吉 本名 勇造。病弱。
 
 田中兼三郎 1869年、祖父の名を
継ぎ正造と改名(29歳)その頃、父 
富蔵、庄造と改名。
 
 山本有三の父  元吉、我が子が
元気に育つように勇造と命名。
蔵の街に因んだ勇蔵名は?喝
 
 
 







2020/10/03 11:09:19|その他
勇造 誕生
 
 蔵の街に栃木県庁があった当時、
田中正造が県議初当選(1880年)
 
 田中県議が定宿(現存)の同じ
通りに山本有三の生家がありました。
 
 山本有三は栃木県庁が宇都宮へ
移転した後の1887年(明治20)
呉服商元吉の長男として生まれ
ました。
 
 有三が生まれる前、幼い姉が
亡くなり、お医者さんも、この子も
育つかどうか〜そう言われた長男に
両親は勇造の名前を付けました。喝
 







2020/10/02 11:20:05|その他
正造と勇造
 田中正造と山本有三、本名勇造。
偶然か、あやかりか、しんにゅうに
造るの造の字、にらめっこ。







2020/10/01 11:38:07|その他
蔵の街県庁
 
 山本有三、本名は勇造。
1887年(明治20)蔵の街、
栃木市に生れました。
 
 蔵の街に栃木県庁が
置かれたのは、1871年
(明治4)〜1884年(明治17)
 
 その間、田中正造が1880年(明治13)
県議に初当選、10年後国政に転ずるまで
蔵の街を悠々闊歩闊歩。
 
 議員仲間や県職員からは安蘇郡
選挙区に因み安蘇の馬鹿と名付けられ
ました。喝