花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2020/11/01 10:51:35|その他
生涯一記者
 田中正造と足尾銅山鉱毒事件
関連年表、なぜ議員を辞めて
直訴に至ったか?今日も何故です。
 
 何故を解くポイントは、二つ。
一つは、正造が、田畑を転売して
得た金で政治家専念を誓った
1878年(明治11)から1891年、
第2回帝国議会、田中正造、
足尾鉱毒事件初質問まで。
 
 もう一つのポイントが、
1901年10月23日の議員辞職から
同年12月10日の直訴まで。この間の
記録、出来事の精査。
 
 なぜ、直訴に至ったのか?
関連表記録の行間に、田中正造が
浮かび上がれば〜期待します。喝
 
 
 







2020/10/31 12:34:38|その他
念ずれば花開く
 田中正造と足尾銅山鉱毒事件、
関連年表、資料を入手しました。
 
 田中正造全集と年譜を
つき合わせていた、なぜ議員を
辞めて直訴に至ったか?
 
 諸先輩が遺してくれた貴重な
データ、課題解決のスピードアップに
ツナガリます。
 
 問題は年表が伝える事実の行間に
正造翁のこころ。ヨミトレルカ、
浮かんでくるか!?喝

 







2020/10/30 16:08:50|その他
アユと田中正造
 渡良瀬川のアユ大量死。
1878年(明治11)
その時、田中正造(38歳)は?
 
 田畑転売、3000円余り
利益得。それを資金に
政治に専念を決意。
 
 1885年(明治18)もアユ大量死!
その時、田中正造(45歳)は?
 
 前年、加波山事件連累者として
警察に逮捕される。その後、釈放。
新年早々は出獄歓迎会に出席。喝
 
 引用、田中正造年譜。
 







2020/10/29 12:04:26|その他
世紀の特ダネ
 なぜ議員を辞職して直訴に
至ったのか、田中正造年譜と
足尾銅山鉱毒事件の関係を調べて
います。
 
 年譜は10年余り前、蔵の街図書館で
コピーし、今、役立っています。
 
 足尾鉱毒事件を最初に報じたのが
下野新聞、その下野新聞の前身、
栃木新聞で田中正造が編集長〜
 
 「正造さん、なぜ?ナンですか」
生涯一記者、田中正造年譜を目で
追っています。喝
 

 







2020/10/28 9:19:04|その他
足尾銅山鉱毒事件
 足尾山塊渓谷を源に
栃木群馬県境を太平洋に
向けて流れる渡良瀬川で
大量のアユが死んで
浮き上がりました。
 
 1878年と1885年のこと。
足尾鉱毒事件表面化の
瞬間です。
 
 栃木県の下野新聞が、山の
立ち木も枯れていると合わせて
伝え、この事件が、公害の原点と
言われます。
 
 足尾銅山鉱毒事件の解決に
命がけで取組んだ田中正造の
この事件へのかかわりは〜。喝