花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/01/16 9:21:11|その他
谷中村 哀歌



 渡良瀬川河畔に、旧谷中村の
合同慰霊碑があります。






 この一角に、谷中村出身の
詩人、逸見猶吉の詩碑も建ち、
詩の一節が刻まれています。






 碑面には、兄、日出吉の名前もあります。
彼は、新聞記者の大先輩、妻は、今は亡き
女優の木暮実千代さんです。






 公害の原点、足尾鉱毒事件で村を
離れた人々の思いを、福島原発事故
被災者の姿にダブらせています。
お便りを続けます。

 2012年3月13日里だより再掲。

 







2021/01/15 12:03:55|その他
コロナ禍に生きる杖言葉を
 蔵の街隠居囲碁クラブは、
市内と市外の会員が、ゴッチャに
なって対局を楽しんでいます。
 
 先日、栃木県新型コロナ緊急事態
宣言に合わせて、囲碁会場の福祉施設から
参加者を市内外に分けて〜交流自粛を。
 
 役員協議、市内外会員、全員お休みに。
その判断や良し!
 
 足尾鉱毒事件、第二第三の田中正造、
水俣病、第四の石牟礼道子現れ、弱者に
寄り添い、コロナ禍と戦えよ!喝
 
 







2021/01/14 12:36:22|その他
なぜ 今 谷中村か
 田中正造の生涯を象徴する
谷中村、先輩の言葉を引用記録、
なぜ 今を考察します。
 
「一見なんの脈絡もないと思われる
言辞の数々から、正造の思索の跡を
辿る興味は尽きないものがある」
全集�I解題 日向康。
 
「田中正造が谷中で見た亡国の事実は(略)
たとえば「水俣で」」
 1972年、没後60年祭講演。

「わたくし(石牟礼道子)は、おのれの
水俣病事件から発して足尾鉱毒事件史の
迷路、あるいは冥土のなかへたどりついた。
略、そのひとの典型を田中正造にみる」
 1972年石牟礼道子「谷中村」大鹿卓著
再刊によせて。


 







2021/01/13 9:53:28|その他
目からウロコ!
 作家、日向康氏が、田中正造
全集�I解題で翁の歌について
次のように触れています。
 
「(田中正造日記の特長の一つは)略
和歌が随所に書き留めてあって、少しずつ
字句を変えたそれらが並んでいる」
 
「(また日記には)以前に詠んだ歌を
日を措いて、ときには年を措いて
再録する場合が珍しくない」
 
 その上で日向氏は「(翁が)自分の
気持ちを正確に訴えるための推敲と
受け取るよりも、ああもこうも考えられる〜
正造の多角的な思考が滲みみ出ている〜」
 
 日向氏の言葉(要旨)を引用記録し
今後の考察に生かします。喝







2021/01/12 15:41:35|その他
渡良瀬慕情
 
 2012年2月18日里便り再掲 

 鉱毒事件で、村が強制廃村になる前、
谷中村の粘土質の肥沃な土で、赤レンガが
焼かれていました。

 ゴッツイ煙突、レンガ場と呼ばれる
工場が遊水地近く、東京のベッドタウン、
栃木県野木町にノコッテイマス。

 赤レンガと言えば、東京駅、日銀本店の
代名詞でした。ここに用いられた谷中の赤レンガ、
往時を知る人は少なくなりました。

 今日は、栃木でラムサールin渡良瀬があります。
鉱毒事件、原発事故によるヨシ焼き中止、思いを
重ねながら、聞きに行きます。。

参考文献「谷中村たより」遺跡を守る会
野木町史