花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/03/01 10:41:29|その他
正造サンの手紙論
 正造翁が、蓼沼丈吉様宛ての
封書でその効用を説いています。
明治34年月7月9日、全集15巻
p297。
 
 貴家ニハ小生の手紙ハ
皆まとめて仕舞置くと被申し
事あり、それハ困った次第です。
 
 手紙ハよく読んで頂戴
いたし度候。(略)小生の手紙ハ
実行のみ。実行を催促なきものハ
一通も無之候。

 正造翁、国会議員辞職決意の
手紙、他言無用、守られています。喝
 
 







2021/02/28 10:28:51|その他
正造サンの「論語」論
  全集15巻p218
明治34年(1901)1月20日
正造翁61歳、蓼沼丈吉様、封書。
 
  今ハ耳順と申ニ至り候(略)
五十年の正造とハ又違へ申候。
五十ハ天命をしり、四十ハ惑ハず、
人の老いる順序有之候。
 
  肉体ハ衰弱せり。而して一方の
精神ハ決して優るあるも劣るなしと
心得居り候。
 
 「参考」子曰、
吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。
                            喝
 







2021/02/27 19:23:30|その他
正造サンの漢字〜而〜
 正造サンの手紙の末尾に
東京二而。どこそこ二而と
書かれています。
 
「ニ而」なんて読むのかな?
検索。「而」は頬髭を意味する
漢字の部首。
 
 それで正造サンは花押代わりに
この字を使つているんだ。
 
 佐野市郷土博物館曰く、
東京二而、読み方は東京「ニテ」
「而」は読み方、意味がイロイロ
あります。辞書を引いてクダサイ。喝
 
 
 

 







2021/02/27 19:19:37|その他
正造サンの手紙 〜ニ而〜
明治34年(1901)辛丑
 (田中正造、61歳、還暦)
1月19日、今回限りで衆議院議員の
辞職を決意。名望御三家に手紙。
2月5日、議会閉会頃まで他言無用。
口止め依頼。村山 半様宛。
10月23日、衆議院議員を辞職。
 
決意表明から国会議員辞職まで
一年近く、硬い絆の男の約束は〜
これから、全集書簡集で辿ります。
 
 さて、正造サンの手紙に
ある「〜ニ而」なんて読ませる
のか。
 
 佐野市郷土博物館がアッサリ、
教えてくれました。ガ、「而」は
正造サンの世界を広げる読み方も
アルンデス。喝
 


 







2021/02/25 10:43:46|その他
正造サンの手紙〜あれもこれも〜
 「小生儀(田中正造、61歳)
今回限り位にて議員は切り上げに
致度決心に候」

 国会議員辞職決意の手紙が
郷里の名望家に届いてひと月も
経たぬのに、口止めのお願いが〜
 
 閑話休題、その前に、正造サンが、
同じ日に、同じ人に送った別の手紙に
書かれた歌。
 
くるとしも又くるとしもくるとしも
くる〜〜めぐるとしハくる〜〜
 
 カタや深刻な議員を辞める話、
コナタ迎春の歌?これが、日向康氏の
喝破した正造翁、多角的思考の象徴です。喝