花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/12/27 13:34:14|その他
マイ「蕃山」登頂記 布石
2012年5.28日。里便り。

 女優 木暮実千代の名前、
覚えていますか?先日、彼女が
建立に関った義弟で、谷中村出身の詩人 
逸見猶吉の詩碑の前で、押し付けガイドを
させて貰いました。

 相手は若い娘さんとその母親。
詩碑は、湖底に没した旧谷中村を
望む渡良瀬遊水地の河畔にあります。

 碑面に刻まれた木暮の夫、日出吉ら
旧村長子孫が、足尾鉱毒事件で受けた
苦悩の歴史を色濃く残しています。
猶吉の代表作ウルトラマリンの一節が
草野心平筆で、刻まれています

 「こんな小さな碑に、あの鉱毒事件が
詰まっていたんですか」
母子は、感動、理解してくれました。
お会いできれば、押し付けガイドさせて
頂きますよ!喝

 







2021/12/27 13:13:28|その他
マイ「蕃山」登頂記 糸口

2012年9.24日。里便り。再掲。

 古河で熊沢蕃山を知る手がかりが、
二つ、見つかりました。
一つは田中、田中正造が、日記に、
徳性のある人と書いていることです。

 これは、古河文学館で見せられた
古河市史こぼれ話にありました。

 本は、隣の古河歴史博物館で、
一冊八百円でした。徳性の人の
記述が正造全集のどこにあるか、
ページをめくっています。

 もう一つ、熊沢蕃山のお墓が
合併前の隣の総和町に、蕃山堤の
面影残す遺跡もあることでした。喝







2021/12/27 13:01:58|その他
マイ「蕃山」登頂記 百聞は

 2012年9.23日。里便り。再掲。

 蕃山堤をこの目でみるため、
渡良瀬遊水地へ出かけました。

 渡良瀬川が付け替えられており、
分かるかどうか、最寄の歴史博物館の
説明でした。

 場所から人物へ方向転換、熊沢蕃山が
幽閉された古河市へ向かいました。

 田中正造先輩格の熊沢蕃山が
歌、治水論で正造に影響を与えて
いないか、こだわりデス。喝







2021/12/27 9:26:47|その他
マイ「蕃山」登頂記 ??
 熊沢蕃山、田中正造、偉大な
二人の生涯を里便りで辿ります。
 
 2012年9.19日。再掲。
 田中正造の歌を眺めていると、
「アレー?」??が二つ、見え
隠れしてきました。
 
 一つ目の?は、
大雨の牛で紹介した西行の八代前祖先が、
藤原秀郷、下野に居住した伝説が残って
います。正造、西行、秀郷(俵藤太)3人の
関係は?
 
 二つ目の?は、
雪よ積もれかし踏みたて蹴立て行かなんー
の着想、少年のころ「憂きことのなおこの
上に積もれかし限りある身の力ためさん」
よく、口にしました。
 
 詠んだのは、陽明学者熊沢蕃山、
渡良瀬遊水地で蕃山堤を知りました。
モシカシタラ?まだ、夢の中です。喝
 
 







2021/12/26 12:19:14|その他
反骨・地球のヒト 熊沢蕃山
 栃木県南部の山間部に、今も点在する
小さな溜池、江戸時代、隣の古河藩に
幽閉された熊沢蕃山が拵えた。その由来を
知る人は、地元でも今は、僅かになりました。
 
 熊沢蕃山(1619〜1691)京都生まれ、
中江藤樹に、陽明学を学ぶ。儒学をはじめ
政治、経済、農業、土木の学問を究める。
幕府を批判し、1687年古河城内に禁固。
 
 そこで禁固処分の罪人、熊沢蕃山が、
自由に城の外に出て、堤や溜池を
どうして、造れたの? 疑問が〜。
 
 地元のひとは、こう書き記しています。
当時の古河藩主親子が、蕃山の才能を惜しみ、
秘かに農地開拓を続けさせていた。正しい口伝が
地元に残されている。喝