花ど真ん中の里便り
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2021/11/02 9:45:05|
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鉱毒証言 大雪十一月渡良瀬
大雪十一月の節に至りますと、
大根や牛蒡や葱抔が多く取れました。
此芋抔、道路の端抔に穴を掘り〜
馬附五駄も六下駄もその穴に入れ
是に麦種を蒔入れ〜来春に青々と
はいまして〜。
処が、只今に至りましては、
鉱毒被害のため芋がとれませんから、
少も何所歩行ましても(芋塚?)
御座りません。喝
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2021/11/01 8:36:51|
その他
筆占い
田中正造が書く、正造の
造のシンニュウ(之)は、
美しく、勢いと味があります。
田中正造遺墨展(佐野市)で観た
正造の造のシンニュウは、そのまま長く
ハシッテいました。
生家にある「愛」の正造、造の
シンニュウは、穏やかで、上に
向かっています。
文は人なり、書は人を表す。
正造死して、百年後の今は?
2012年5・11 里便り再掲。
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2021/10/31 11:56:33|
その他
田中正造 息の長い話
不幸此40日(大欠伸、服役)ㇵ
短きに似て短からず、「明治35年(1902)
書簡」獄より出て見れば世上の事少しも分り
不申候。
田中正造も、三日見ぬまのサクラかな。
一瞬、そう受け止めました。
正造研究者、赤上剛氏の「正造は何回
投獄されたか」を参考に正造が服役した
刑期の計算始めました。
途中、正造は入獄中、「新約聖書」を
じっくり読むことが出来た。1913年、
田中正造の回想日記紹介が!田中正造
監獄大学論の由縁です。喝
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2021/10/30 10:39:05|
その他
田中正造 大欠伸
明治35年(1902)6・13(書簡)
人生会計法。
入るとき入ると付けべし当座帳出れバ
いづれでたとしるさん
アクビ事件に付、大刑に触れて檻ニ
行くとき。
明治33年11・28
川俣事件公判、検事論告中、大欠伸、
明治34年、
田中正造、61歳、議員辞職決意。
同年5月29日
本日(大欠伸)無罪ニ候。判事ノ
正当ナルヲ御誉メ被下度候。
明治34年10・23日
田中正造、衆議院議員、辞職。
明治35年5・11
然バ小生義(田中正造)去九日有罪
一ヶ月と十日と五円、
明治35年㋅〜㋆
巣鴨監獄に服役。
不幸此40日ㇵ短きに似て
短からず、
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2021/10/29 7:37:40|
その他
田中正造 愛
正造が書いた「愛」の一文字は、
彼が生まれた佐野市の郷土博物館の
パンフレットに説明があります。
明治33年(1900年)官憲の不当弾圧
「川俣事件」でけがをした農家の人に、ケガを
証拠として残すよう説得した手紙の中に
「愛」と書いた半紙が、同封されていました。
毒流すわるさやめすハ我止ます
渡らせ利ねニ血を流すとも(写真)
ケガをした農家の人へ、義兄と書いて
おくった正造の決意です。
「愛」と歌の内容は、正造の非暴力と、
結びつきませんが、川俣事件をきっかけに
正造が好んで「愛」と書くようになり、この一文字が、
正造の生涯を貫きました。喝
旧題名「闘いの愛」2012年5・11日、里便り再掲
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