花ど真ん中の里便り
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2021/11/13 12:21:59|
その他
直訴状 それとも「11月12日」説アリ
幸徳秋水の自筆の年譜の中に
「11月12日(明治34年1901)
田中正造の直訴状を草す」と書いて
あるんです。
平成12年(2000)5月、田中正造研究者、
布川了さんが、宇都宮市で開催された講演会で
話しています。
田中正造に直訴を勧めた石川半山日記、翌々日に
半山と幸徳秋水が会った折、そこで、秋水に何が
語られたか。直訴状の代筆、白羽の矢?
普通、代筆?を依頼したものであれば、
それを尊重、使います。正造翁が片手に掲げた
直訴状と新聞発表のそれに、正造翁の数多くの
加筆訂正印の有無が〜それが? 喝
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2021/11/12 9:13:53|
その他
直訴状 夜か昼かそれとも
田中正造に直訴を勧めたと
みられる石川半山日記を読んで
これまで伝えられた直訴前日の
動きを眺めています。
1901年(明治34)12月9日
夜、田中正造が幸徳秋水の家を
訪ね手直訴状の起草を〜
イヤ、正造翁が来たのは昼間でした。
秋水の家族は(直訴状用)奉書を買いに
行かされたから覚えている。(後年記憶を)
ナントもセワシナイ話。ここに石川半山日記
登場。石川半山、幸徳秋水、そして田中正造
三人の関係は?喝
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2021/11/11 11:00:32|
その他
直訴状の書かれた日
田中正造に直訴を勧めたと見られる
石川半山の日記を読んで、直訴状の
書かれた日は?
それまで、直訴状は、田中正造が
直訴前日夜、幸徳秋水の家を訪れ、
起草を依頼し、手を加え、直訴に
臨んだと受け止めていました。
半山日記は、直訴半年前、田中正造が
勧めを受け入れ、幸徳秋水を加え、計画が
練られていたことを窺わせます。
それは、直訴直後、新聞向けに直訴状の
写しが配られ、号外!号外!その手回しの
よさにも。
さらに正造翁が片手に持った直訴状の
表題は「謹奏」新聞号外は「謹奏表」その
違いが。そしていずれの直訴状にも
直訴当日12月10日の10日の日付けが
アリマセン。喝
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2021/11/10 9:48:26|
その他
直訴 シナリオ 石川半山
田中正造に直訴を勧めたと
見られる石川半山日記を読んで
これまで伝えられた事実と、どこが
どう違うのか。
石川半山日記、明治34年(1901)6.8日
僕(半山」曰く。君にして若行うなら僕
之を言わん。君唯佐倉宗五郎たるのみ。
田中蹶起快之誓断行。
僕乃ち其方略を授く。其方略、これが
石川半山直訴シナリオ、6月8日を期して
後に幸徳秋水を加え、役割を決めました。喝
「参考」
田中正造と足尾鉱毒事件研究
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2021/11/09 8:01:34|
その他
日記が語る田中正造の直訴
蔵の街図書館からお借りした
田中正造研究書の中に、画期的な
情報がありました。
それが石川半山日記(東京大学所蔵)の
存在です。明治34年6月8日、直訴の
半年前、半山が田中正造と会し、その席で〜。
「今日唯一策あるのみ」
田中曰く。何事ぞ。
「予曰く。容易に語る可らず」
田中曰く。謹みて教を受けん。
日記の存在を伝えた研究者は、
この記述をそのまま信用すれば云々。と
書いています。確かに、田中正造と
直訴の輪郭が見えてきます。喝
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