花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/12/23 11:46:20|その他
蕃山と正造 2012.10.4.里便り再掲。
 古河市の鮭延寺にある
熊沢蕃山ご夫妻の墓を
訪ねました。

 田中正造の日記に、蕃山
没し、まもなく奥さんもとへと
ありますが、蕃山は妻に
先立たれています。

 蕃山ー予は武士ナリ。
 正造ー予は下野の百姓ナリ。

 蕃山ー人は誠なり。
 正造ー人は愛なり。

 熊沢蕃山と田中正造の
生涯を追いかけ、お便り
します。喝







2021/12/22 10:01:52|その他
柚子 異聞
 柚子の木は寒さに弱く、栃木北限の
ユズが、東北、北海道へ旅の土産として、
喜ばれていました。
 
 その北限も地球温暖化で青森県にまで
延び、岩手県では、北限のゆずの名前で、
商品化、マチ起こしも進んでいます。
 
 ゆずの商品化と言えば、脱サラ後、
何でも屋さんに転身、仕入れたユズ羊羹を
近くの観光地物産店に販売をお願いしたこと。
 
 そのユズ羊羹も若者の茶碗が熱くて持てない!
お茶からコーヒーに、それで、お茶受け羊羹も〜。
茶飲み風景も一変したこと。タイヘンでした。喝
 
 
 
 







2021/12/21 14:35:54|その他
地球環境を守るヒト
 田中正造が生きていたら、
地球規模の天変地異にどう立ち
向かうのか、地球温暖化の勉強を
始めました。
 
 田中正造が生まれた小中村、現、佐野市に
向かって東京から、群馬県館林市を越えて
暑さが車で運ばれています。
 
 暑さは更に北上を続けている。これらは、
何れも俗説?それにしても、佐野市のお隣
南限北限花境界線の花ど真ん中の里で、特産の
ぶどうに交って南国みかんを収穫〜。
 
 直訴・人権のヒトから、さらに地球環境を
守るヒト、田中正造に期待を膨らませています。喝
 







2021/12/20 13:09:17|その他
気候変動〜真の文明は〜
 まず、室田武さん(1943〜2019)
足利高校卒、同志社大学名誉教授が、1983年、
「現代エコロジーの先駆者・熊沢蕃山」講演で
田中正造との共通性をお話しになった部分、
引用させて頂きます。
 
 日本の治山、治水の歴史上重要な貢献をした
二人の巨人(蕃山1619〜1691。正造1841〜1913)
が,ほとんど同じ場所(古河と谷中村は目と鼻の先)で
亡くなっているのは、興味深い。
 
 鉱毒事件は、足尾の山がはげ山になり、鉱毒水が
流れてくる。大雨が降ると洪水が〜、正造自身、
直訴したり〜、それでも何も解決しない〜、
 
 蕃山の場合も、幕府の森林伐採禁止令を巡って、
折り合いがつかなくなり、蕃山と正造の時代は
2〜3世紀違いますが、二人の考えは、非常に
共通し、最後に亡くなった場所が、近くで
興味深い歴史の偶然と言えます。
 
 砂漠化が急速に進行しているなかで、ある意味で
蕃山の時代以上に大事なことで、鉱毒事件の由来を
生涯を賭けて問いただし続けた田中正造の遺志を
現代に蘇らせることにもつながると思います。
 







2021/12/19 11:56:39|その他
正造 初心忘れず
 明治34年(1901)田中正造、61歳。
12月10日、直訴決行、
 明治37年7月、正造、64歳。
鉱毒問題解決に専念するため谷中村に
居を移す。(年譜)
 
 この間、明治35年知人に宛てた手紙に
添えられた歌。
 
 瘠せかれて 憐れはかなき 竹さゝも
又のび返る 時ㇵ来にけり
 
 瘠せかれて 影ㇵ憐れに 見ゆるとも
竹ㇵ真すぐの こゝろなるべき
 
 毒流す わるさやめずバ 我止まず
わたらせ利根に 血を流すとも 正造
 
同年6月、正造病気、5年ぶりに、故郷
小中村に一時、帰っています。喝