花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/12/27 13:01:58|その他
マイ「蕃山」登頂記 百聞は

 2012年9.23日。里便り。再掲。

 蕃山堤をこの目でみるため、
渡良瀬遊水地へ出かけました。

 渡良瀬川が付け替えられており、
分かるかどうか、最寄の歴史博物館の
説明でした。

 場所から人物へ方向転換、熊沢蕃山が
幽閉された古河市へ向かいました。

 田中正造先輩格の熊沢蕃山が
歌、治水論で正造に影響を与えて
いないか、こだわりデス。喝







2021/12/27 9:26:47|その他
マイ「蕃山」登頂記 ??
 熊沢蕃山、田中正造、偉大な
二人の生涯を里便りで辿ります。
 
 2012年9.19日。再掲。
 田中正造の歌を眺めていると、
「アレー?」??が二つ、見え
隠れしてきました。
 
 一つ目の?は、
大雨の牛で紹介した西行の八代前祖先が、
藤原秀郷、下野に居住した伝説が残って
います。正造、西行、秀郷(俵藤太)3人の
関係は?
 
 二つ目の?は、
雪よ積もれかし踏みたて蹴立て行かなんー
の着想、少年のころ「憂きことのなおこの
上に積もれかし限りある身の力ためさん」
よく、口にしました。
 
 詠んだのは、陽明学者熊沢蕃山、
渡良瀬遊水地で蕃山堤を知りました。
モシカシタラ?まだ、夢の中です。喝
 
 







2021/12/26 12:19:14|その他
反骨・地球のヒト 熊沢蕃山
 栃木県南部の山間部に、今も点在する
小さな溜池、江戸時代、隣の古河藩に
幽閉された熊沢蕃山が拵えた。その由来を
知る人は、地元でも今は、僅かになりました。
 
 熊沢蕃山(1619〜1691)京都生まれ、
中江藤樹に、陽明学を学ぶ。儒学をはじめ
政治、経済、農業、土木の学問を究める。
幕府を批判し、1687年古河城内に禁固。
 
 そこで禁固処分の罪人、熊沢蕃山が、
自由に城の外に出て、堤や溜池を
どうして、造れたの? 疑問が〜。
 
 地元のひとは、こう書き記しています。
当時の古河藩主親子が、蕃山の才能を惜しみ、
秘かに農地開拓を続けさせていた。正しい口伝が
地元に残されている。喝
 
 
 
 







2021/12/25 14:52:05|その他
ばんざんだめと蕃山堤(つつみ)
「ばんざんだめ」その場所、
知りませんか。この地に生まれ、
育ち住んでいるけど、聞いたことはナイ。
古老に尋ねても、知らないという。
 
 江戸時代、この辺りは、古河藩の領地、
岡山のヒトで幽閉されていた罪人が、
なんで溜池や河川に堤を造り、農業に
貢献出来たの!?
十数年前、田中正造と熊沢蕃山の関係を
調べた時、地元の人が書き残していました。
 
 実は、蕃山設計構築の渡良瀬川蕃山堤が
谷中村を洪水から守りました。東西の土を
入れ替え、踏み固め、出来上がった堤の所々に
四角の穴を掘り、他の土を埋め土の柱を作りました。
 
 地勢水勢に則った堅牢なものとなり、蕃山堤の
名と共に明治まで遺されました。そんな貴重で
大切な財産を!喝
 







2021/12/24 14:42:16|その他
武士農民論と地球環境
 蕃山ー予は武士ナリ。
 正造ー予は下野の百姓ナリ。
「蕃山と正造」で二人を対照的に
紹介しました。
 
 武士と名乗った蕃山が、武士は半分、
農民と考えていた。後で知りました。
 
 農作業も出来ない武士は、いざ鎌倉にあって
何も出来ない。蕃山の持論です。
 
 蕃山と正造の共通は、土と水、それを基盤にする
農業、そして地球環境、二人に学びます。喝
 
 「参考」
 現代エコロジーの先駆者・熊沢蕃山
                                        室田武