花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2022/01/18 16:44:43|その他
谷中村

 渡良瀬遊水地に遺る旧谷中村跡地を
訪ねると、正造サンの息遣いを感じます。

 明治37年(1904年)正造サンは
着たきりスズメで谷中村に入りました。
着替えに困り、縁者へSOSの手紙を
出しています。

 正造サンの書簡集6巻の大半が、
この谷中村時代に、内外から投函した
手紙、ハガキで占められています。

 正造さんの手紙運動を支えた、当時の
郵便事情は?念ずれば花開く。喝
 
 2012年7.11。再掲。







2022/01/17 11:51:21|その他
先駆者の由縁
 田中正造、地球環境先駆者の由縁、
K・ストロング著「田中正造伝」が
解き明かしています。
 
 「環境」(こうした抽象的な用語を、
正造自身決して使わなかったし,きっと
毛嫌いしていたことだろう)
 
 「環境保全」(これもまた、演題的な
用語だが))に対する正造の関心は、
谷中救済闘争の大切な{部分}となった。
 
 付言すれば、田中正造にとって、谷中村は
環境破壊から土壌、山、川を守る生涯最後の
闘いの砦デシタ。喝
 
 







2022/01/16 13:48:31|その他
なぜ今田中正造か
 平和な地球環境、先駆者田中正造の
実践を今に伝え、より良い未来を築く
SDGs17目標実現に力を合わせます。
 
 直訴・人権の人、田中正造は、谷中村に
移り住み、自然と頬をすりよせ、治山治水の
こころを学びました。
 
 真の文明ㇵ山を荒らさず
川を荒らさず、村を破らず
人を殺さゞるべし
1912年(明治45)6.17。日記。
 
 地球温暖化、気候変動、国連が
採択したSDGs17の目標、世界の
取り組みに合わせた相応しいタイトルは
「今、甦る田中正造」喝
 
 







2022/01/15 13:12:59|その他
地球環境先駆者 正造翁のこころ
 自然に対する田中正造のこころを
K・ストロング氏は、その著で、翁の
言葉を引用、推察しています。
 
 「治水は河川の上にあらず、人心の
上にありです」
「予(正造)は無学なり。天地を師とす」
 
 海空を
我家とせば
何もなし
何もなければ
みんなわがもの 正造
 
 人は皆
山を枕に
野の草と
ともにねうれば
朝日に目ざめ  正造
 







2022/01/14 14:26:58|その他
蕃山、正造 二人の絆 現地調査
 栃木県南部の旧古河藩領の山間に
点在する蕃山溜に出会いました。
 
 熊沢蕃山が、参勤交代で疲弊する
藩の財政を救うため造らせたものです。
溜池は開田を促し、米の増産に結びつき
ました
 
 造成に当たって、年間にわたる事前の
綿密な現地調査が、今に伝わっています。
 
 田中正造も自ら身を投じた河川調査で、
熊沢蕃山と並ぶ水の思想を独自に展開して
います。喝
 
 
2012年10.10。里便り再掲。
「参考文献」岩舟町観光協会、
コスモス通信2号「蓮花川」関塚