私の知人から、あるところの歩道の見通しが悪く、歩行時でも 自転車に乗っていても、ドキッとすることが多く危険を感じている 場所があるため、何とかして頂けないでしょうか? という趣旨の要望を頂きました。
考えられる対策は、 @歩道を広げるか、 A歩道の横および曲がり角にある生垣を刈り込むことが考えられました。
早速、歩道整備に関係する部署に要望すべく伺い、話しを聞いて頂きました。 その後、生垣を管理している別な部署の方から電話がきました。 電話の内容を要約すると、 『生垣については、定期的に刈り込んでおり、現時点では特に伸びている 状況でもなく、何ら問題ないと思っていますが・・・。』 という内容だった ように思います。 私からの要望は、見通しの悪い歩道を少しでも改善して頂けないか?という ことであり、その答えは何もない中で、「生垣は、定期的に刈り込んで、きれいにしてあるので、問題ない」と言われても、、、。
その時私は、 「では、その答えで私は、了解しましたと 言わなければならないんでしょうか?」と言わせて頂きました。 久し振りに 『カチン』 とくる出来事でした。
『できない理由より、どうすれば要望に近付けるか』 ではないでしょうか。 これは、鈴木市長も常々言っていることです。
私は議員という立場で、市民の皆様からお願いされたことを行政の皆さんに 伝えて、賛同を得られれば何らかの対処をして頂けるということになります。
私が日頃気を付けているのは、こういう時に 「何が何でも、なんとかしてくれ」という、言い方はしないように 気を付けています。 やりとりの中で、私の言い方に問題があれば、反省しますが、、。
結論としては、 生垣の調整等により改善して頂けるように伺いました。
最後に、もう一度書きます。 『できない理由より、どうすれば要望に近付けるか』 ではないでしょうか。 |