雨の青森を抜け出し南下した先で、浄土が浜に着いた。ここは自分が社会人になって、初めての慰安旅行で訪れた場所。なぜか夜行バスでの慰安旅行で、自分は若いので楽しくてしょうがなかったが、上司たちは疲れきったようだ。今は大きなレストハウスがあったが、あのときは? 海の景色は覚えていたが、回りは全然記憶にない。ただただ若かったから、笑って過ごしていた。バカなだけだった。今は?バカは変わらないが笑わなくなったかな。 翌日、海の幸を十分に堪能したホテルを一路常磐道にとった。 震災のあと一時期不通になっていた常磐道は、今は全線開通している。仙台を抜け福島県に入ると、耕作放置の水田が続き、人影がない人家、洗濯物も見えない庭先、ここはいまだ帰宅困難区域なのだ。自分の家でも田んぼでもないが、涙がにじんできた。いつになったらここに、稲穂の揺れる景色が戻るのだろう。電気は必要だが、放射能の汚染はいらない。いつの日か一気に除染する発明が現れるだろうか。あまい。ずるい人間はいつか淘汰され、細菌とウィルスと微生物だけの地球になるのかな。でもまて、ウィルスは宿主がいないと困るだろうから、人間以外の哺乳類は残してもらえるかも。 でも孫やひ孫が不自由なく暮らせるまでは平和でありますように。やっぱり勝手などてふんばりだわ。 |