まず、イーハトーブ館へ、興味ある参考書を探し、賢治グッズを手に入れます。ホールでは「注文の多い料理店」の映画や、作品展をやっていましたが、花巻駅に向かうバスの時刻まで40分ほどだったので、割愛しました。南斜花壇から記念館へ、いつもの通り、初秋の風のなかで、青い栗の実が落ちていたり、小鳥の声が聞こえたり、ゆっくりしたいのを我慢して「よだかの星碑」まで行き、階段を下ってバス停へ。このバスを逃すと全く予定が狂ってしまいます。
花巻へ行くバス待ちをしていた時、地元の女性とお話できました。記念館などの建物ができるには広い面積の森林が伐採されたこと、朝晩流れる賢治の歌曲のこと、同級生の賢治の妹さんの娘さんがお母さんそっくりだったこと、清六さんが真剣に賢治の資料を守って伝えてくれたこと、など、花巻では自然な形で賢治の情報が多くの方に共有されていることを実感しました。
賢治はなぜ自然や宇宙のことなど、あのように美しい文章にできたのかと話され、同感でした。すべての賢治への愛がそこから始まっているのだ、と思いました。盛岡の県立博物館に行くと、賢治の愛した岩石や、花巻の郷土玩具などもたくさん展示されているということも教えてくださいました。
少し前、イギリス海岸の川床が見えたというニュースがあって、行ってみようと思いました。今日はバスにはめぐまれていて少し待ってバスに乗りました。バス停からだと以前来た時とは逆方向から歩くことになりました。歩行者、車椅子用の歩道が整備されて、安全に歩けるようになっていました。
残念ながら川は水をたたえて流れていましたが、岸の古い地層ははっきり見え、クルミの木も健在でした。小舟の渡しまで行こうと思いましたが、時間も気になり、また来た道を引き返しました。
宮沢賢治学会では、花巻市民の会の越後美智子さんが、宇都宮セミナーをとても評価して下さり、頑張ってよかった、と思いました。 懇親会でも会場を駆け回って盛り上げて下さる地元の方には頭が下がりました。
会場で偶然手にした、「オアシス」という小冊子には、花巻の賢治の情報をいつも送り続けて下さる、泉沢善雄氏や板垣寛氏のお元気なご文章がありました。白取克之氏の「東北農民管弦楽団」の誕生と発展のお話も初めて知り感動しました。中村満敬氏のご文章では吉見正信さんの教師の一面を知りました。小さな情報源に詰まった花巻の賢治愛を強く感じました。
懇親会の参加者の中で、四人で水沢の天文台で賢治を読む賢治の会を続けていらっしゃる方とお話しできました。種山ヶ原大好きな私は、最初にお話を聞いただけで、舞い上がって自分の想いを吐露してしまったようで、もっとよくお話を聞いておけばよかった、と後悔しています。
小菅健吉さんの調査を続けていらっしゃる方、関西におられた時の小菅さんの履歴を詳しくお調べでした。一昨年、研究発表をなさった方で、そのときも宇都宮のセミナーのために栃木・宮沢賢治の会でも集めていた小菅さんの資料を差し上げられたらよかった、と思っていましたが、今日お会いできることも知らず準備できませんでした。
私は、人と話すのも聞くのも下手なのだとつくづく反省しました。
念願のマルカンデパートのソフトクリームもいただき、豊かな気持ちで一日が終わりました。
23日は、小岩井農場へ。ここは私がが初めて一人旅をしたイーハトーブです。その時の息をするような風が忘れられません。
詳しい方に農場の本部の建物から、姥屋敷、沼森など、賢治が歩いた場所を案内していただいたり、雫石セミナーに参加したり、少しでも小岩井農場に描かれた場所を求めました。
その後、栃木・宮沢賢治の会の「イーハトーブへの旅」でも農場から鞍掛山から、春子谷知湿原、溶岩流まで回り、とても大きな経験ができました。
2017年、一人で来たときは、宮沢賢治に関するイベント、展示などがたくさんあって、幸い「狼森賢治ウオーク」に参加でき、他ではできない体験となりました。今回も少し期待していたのですが、全く、そのような企画はありませんでした。
今日は、バスという限られた手段と時間、自分の体力の中で許された小岩井農場の「まきば園」の中のみを歩きました。「まきば園」は整備された「楽しい遊園地」ですが、絶景の岩手山が望め、牛舎やサイロ、資料館は昔のままです。静かな資料館でビデオを見ながら休憩を取りました。
林に囲まれた一角に宮沢賢治「小岩井農場パート二」の詩碑があります。周囲は綺麗に手入れされ、緑色の風を受けているように感じました。
碑の建立時、建立の発起団体「雫石賢治の会」の「雫石セミナー」に参加させていただき、牛乳で乾杯した思い出が強く残っています。
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
あらためてこの景色の中で読むと賢治の小岩井農場への想いが迫ってきて、震えました。
詩碑には誰も訪れてはいませんでした。そのことで、すべてを独り占めしたような幸せな気持ちになりました。
「詩碑」の存在は、訪れた人に、作者と作品と風景を結び付けるものとなることを初めて実感しました。今までは単なる観光名所と思えてあまり共感できませんでしたが、これからは他の詩碑も訪ねてみようかと思います。
朝、花巻から盛岡に向かう東北本線は、一関―盛岡間の2両編成の通勤通学列車でした。賢治が北海道や樺太を目指した当時はもっと両数も多く、ボックスシートで、汽笛を鳴らして走っていたことでしょう。でもやはり、東北本線に乗ると賢治も乗った路線だという思いが生まれます。いろいろな作品に登場する駅名が次々に現れ、空想を呼びます。多分変わっているのに、なぜか昔のままの生活があるように思えてしまいます。
線路際に、元気な緑の濃いクズなどが間近まで生い茂っていました。我が家の近隣では路線の周囲の雑草として刈り取られているものが、意味あるものとして残されているような気がします。
花巻に来る途中の新幹線でも、岩手に入ると、車窓から見る林や森が緑色濃く盛り上がっているように思いました。これが東北の厳しい気候の中で育つ自然なのか、と思います。賢治の作品の根底にも、それを感じて読んでみたいと思います。
今年の旅は、心に残る出会いと好天に恵まれて、短くも輝くような時を残してくれました。