背景は、夜、目的地、種馬検査所に向かいながらひたすら歩く林の中、風は様々な感覚でとらえられる。音、味、色、香り、その他の印象、と多様を極め、後の詩群での表現とは違って一つの特徴を示す。ここに賢治の共感覚的表現が生まれたのではないかとさえ思われる。
詩の流れに沿って展開する様々な風の風景を、追ってみると、T音 U色と香り V透明化する肉体 W味 X組成 Z光と香り [月光とエステル \感触 ]日の出と希望, Ⅺ明るい風、かぐはしい風、「やさしい化性の鳥」と「石竹いろの時候」と―賢治の現実、になろう。一つ一つ考えてみよう。
T音
◎風のやうに峡流も鳴る
〔どろの木の下から〕 一九二四、四、一九、では、作者の歩行の始まり、林の中にいて、川の流れの音を聞いている。他の多くの作品のように、作者は風に吹かれてはいない。遠くで聞こえる渓流の音に対する直喩である。
川は遠く目にすることはできないが、静かに続けて流れてくる音は風の音に似ている。遥かな距離を渡ってくる音として風に喩えたのだろうか。
詩の締めくくりの言葉として、小さな一つの安心の表現だろうか。
U色と香り
◎青い風、紫蘇の香り
「一七一 〔いま来た角に〕 一九二四、四、一九、」では、青く香りを持つ風が描かれる。
……シャープ鉛筆 月印/紫蘇のかほりの青じろい風……
前章でふれたように、「シャープ印鉛筆」はないが、すでにシャープペンシルは徳川家康の時代に輸入され、日本でも1877年、三菱 小池で製造され1915年年早川から繰り出し式鉛筆として発売された。
一方、月印鉛筆は1908年ドイツ、ステッドラー社の鉛筆が岩井商店から輸入されている。(注ジャパンアーカイブス1850〜2100)
1914年には真崎市川鉛筆で製造された「ウイング(羽車印)」も「月星印」である。当時、鉛筆は大切なもの、貴重なものとして、童話「みじかい木ペン」、「風の又三郎」にも描かれ、賢治がいつも鉛筆を携えて湧き上がる詩情をノートに書き留めていたことはよく知られている。
ふと自身を振り返り携帯している鉛筆を眺め、周囲の風を確認したのであろうか。「青白い風」は忍び寄る夜更けの風の冷たさ、そこから紫蘇の香りを連想したか、冷たさに紫蘇を感じたか、どちらかであろう。高原の林の中に、実際に紫蘇が自生することはないであろう。
◎うゐきゃうの香りの風
……だまって風に溶けてしまはう/このうゐきゃうのかほりがそれだ……
ここでも「うゐきゃうのかほり」の風が一つの風景を作る。
溶けてしまいたい風、そして「骨、青さ」につながる風と眠り。鈴の音、これは眠さの中の心象だろうか。
「うゐきゃう」(ウイキョウ)はセリ科ウイキョウ属ウイキョウで、ハーブとしての名、洋名はフェンネル、独特の香りを持つ。
香辛料として栽培、葉、種、肥大した株元も使われる。茎葉の旬は5月から10月である。 中国から10世紀に日本に伝来し、江戸時代には主に薬用として用いられた。
ウイキョウの香りを伴う風である。シソと同様、山中に自生するという確証がない。
「うゐきゃう」は下書稿及び手入れ稿七稿にすべてあり、賢治の納得いく表現だったようだ。
もう一つ、賢治が詩に描くものに、「ミヤマウイキョウ」がある。こちらは セリ科シラネニンジン属ミヤマウイキョウで、亜高山帯から高山帯の岩場に生える高山植物、本州では早池峰山、至仏山−中部地方などに生育する。 葉がウイキョウに似ているので命名された。ミヤマウイキョウが登場する詩は 早池峰山を描いた「山の晨明に関する童話風の構想(定稿)(「春と修羅第二集」)では
……みやまうゐきゃうの香料から /蜜やさまざまのエッセンス そこには碧眼の蜂も顫える
さうしてどうだ /風が吹くと 風が吹くと 傾斜になったいちめんの釣鐘草 (ブリューベル) の花に……
があり、この作品を改稿して作品番号日付を失ったもの(春と修羅第二集補遺)、 〔水よりも濃いなだれの風や〕(下書稿)補遺、にも「みやまうゐきゃう」が使われる。これを文語詩化した〔水と濃き雪崩の風や〕下書稿一、下書稿二「早池峰中腹」では、「うゐきゃう」になっている。これは音律を考えてのことと思う。
早池峰山は1917m、橄欖岩や蛇紋岩でできていて高山植物の宝庫となり、外山高原は標高800mの高原地帯で、植生は明らかに違い、二つを混同はしないであろう。賢治は農学系の勉強をしているので、栽培植物としての「うゐきゃう」、「フェンネル」を知っていたと思われ、この詩では、風の印象から細い葉の密生する「うゐきゃう」という言葉を当てたのであろう。
V体にしみこむ風、透明化する体
同詩で
……
風……骨、青さ、/どこかで鈴が鳴ってゐる/どれぐらゐいま睡ったらう
……
作者の意識の底には眠気がある。林の中をひたすら歩くなかで、風によって目覚めるが、ここに現れる「骨」はなにか。身近には、骨に染みてくるような林の空気、あるいは寒さ、ととれる。「青さ」も身に染みる空気でなないだろうか。
さらに小川には斧が落ちていて、連想は友達につながり、さらに風景は透明な風、木の葉、自身も透明になり「骨」といったのかもしれないが、生身の人を感じさせる言葉である。
W味
◎酸っぱい風
さらに同詩では
……なんでもそらのまんなかが/がらんと白く荒さんでゐて/風がおかしく酸っぱいのだ……/風……とそんなにまがりくねった桂の木……
同時に「酸っぱい風」も登場する。林はますます深くなり、頭上の空が見えるだけなのであろう。11時ころ曇、とあるので、月の光も漏れてこなくて、「白く荒んだ」空だったのか。風は、その心情と風景を映して「おかしく酸っぱい」と表現される。感じられるのはマイナスイメージである。
「酸」は、すっぱいこと。また、すっぱいもの。また 水溶液中で水素イオンを放出する物質、電離して水素イオンを出し、塩基を中和して塩を生じる物質である。
賢治の詩中では、腐敗などを連想する「酸っぱい」というマイナスイメージと化学物質の形状からくる印象を形容に使う場合がある。化学を専攻した賢治ならではの知識と詩的感覚とが相まって多くの形容を生み出しているといえる。
範囲を広げて、『春と修羅』、「春と修羅第二集」に登場する「酸」は、肥料の名前として 燐酸、過燐酸石灰の二例がある。化合物の名前としてカルボン酸 仮睡珪酸2例、希硫酸、炭酸瓦斯、酸素、脂肪酸、水酸化礬土、炭酸二例、無水亜硫酸、燐酸、珪酸、硼酸、がある。
……雪沓とジュートの脚絆/白樺は焔をあげて/熱く酸っぱい樹液を噴けば……
この外山詩群の最後の詩「北上山地の春」では、樹液の形容として、風景のあかるさのなかでは、新鮮なイメージを持つ。
「
Y光と香り
◎香り
「七三 「有明 一九二四、四、二〇、」では、明け方の月に目が向けられ、同時にそこに香りを感じていく。
……月は崇厳なパンの木の実にかはり/その香気もまたよく凍らされて/はなやかに錫いろのそらにかゝれば
東の雲ははやくも蜜のいろに燃え/……/あゝあかつき近くの雲が凍れば凍るほど/そこらが明るくなればなるほど/あらたにあなたがお吐きになる/エステルの香は雲にみちます/おゝ天子/あなたはいまにはかにくらくなられます
下書稿一のタイトルは「普光天子」である。普光天子は法華経における三光天子の一つ、金星を神格化したものである。法華経『序品』には、 「爾その時に釈提桓因、其その眷属二万の天子と倶なり。復、名月天子、普香天子、宝光天子、四大天王有り。其の眷属万の天子と倶なり」があり、日天・月天・明星天の三天を仏法守護の神として説き、日天(太陽)・月天(月)・明星天(星)の三つをいい、天とは「神」を意味する。
下書稿一では、「お月さま」という呼びかけではじまり一夜共に過ごした月の運行が意志をもって人に働きかけることへの賛歌を歌う。
エステルは 有機酸または無機酸のオキソ酸と、アルコールまたはフェノールのようなヒドロキシ基を含む化合物との縮合反応で得られる化合物で、単にエステルと呼ぶときはカルボン酸とアルコールから成るカルボン酸エステル (carboxylate ester) を指すことが多い。また、低分子量のカルボン酸エステルはバナナやマンゴーの果実臭を持つ。
明けがたの月光に香果物の香りを感じたことになる。前詩の香りよりも明るく心地よい香りは、今まで共に歩いた月への賛歌による香ではないだろうか。
Yモナド
七三「有明」では明け方の月の光が描写される。空は昼へと変わり始め、目覚めて思い切り空気を吸い込み、また空に空気の稠密さを感じ、光は香りとともに感じられるなかで、そこに「モナド」を感ずる。
あけがたになり/風のモナドがひしめき/東もけむりだしたので/月は崇厳なパンの木の実にかはり/その香気もまたよく凍らされて/はなやかに錫いろのそらにかゝれば……
モナドは「単子」で、G.W.ライプニッツ(ドイツ哲学者1646〜1716)「モナド論」で、現実に存在するものの構成要素を分析したとき、それ以上分割できない、延長を (ひろがりも形も) 持たない実体を「モナド」としてとらえた。
賢治も、風をモナドの集合体としてとらえている。これはこの抽象的論議を賢治が意識していたといえるのではないだろうか。
「モナド」は賢治詩において10例が出現する。「モナド」については別稿で詳述したのでここでは避けるが、詩作への入口となった「冬のスケッチ」から『春と修羅』、さらに「春と修羅第二集」、農業の実践時代の「春と修羅第三集」、そして最晩年の自らを顧みるように再編成した文語詩まで変わることなく、イメージとして作品に重要な場面を作っている。
賢治の描く「モナド」は「風」「光」「空」で、まさに宇宙につながるものである。それを構成する最小単位のモナドの集まりと捉えたことは、心象をつきつめて描こうとする賢治にとって究極の表現だったのではないだろうか。よって、その光の中に自分の感情を注ぎ込み、その時に応じた周辺の表現に「モナド」に託したのである。
Z滅びの前の極楽鳥
さらにこの詩において高地から眺めた盛岡の風景を「滅びの前の極楽鳥」といい、「野原の草をつぎつぎに食べ/代りに砂糖や木綿を出した/やさしい化性の鳥であるが/しかも変らぬ一つの愛を/わたしはそこに誓はうとする」という。
この神話が実在しておいるか不明だが、この時点で賢治は一瞬現実を肯定したのであろうか。
[感触
◎楔形文字
「北上山地の春 一九二四、四、二〇、では、賢治の旅は目的地に近づき、朝を迎える。
……風の透明な楔形文字は/ごつごつ暗いくるみの枝に来て鳴らし……
楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ、)とは、紀元前3400年ころから。メソポタミア文明で使用されていた古代文字で、水で練った粘土板に、葦を削ったペンが使われ、のちには楔型の尖筆を用いて書かれた、繊細で鋭利な形状である。
「ごつごつ暗い」と形容されるのはクルミの木の枝と対比して、そこに吹く風の音と肌触りを象徴している。
「(新)ひまわり青空文庫」中に「楔形文字」は14例ある。文字そのものを表し、このような象徴的な意味では使われるのは、この例のみである。
賢治の感性による表現で、楔形文字のバランスのある統一のとれた形状が、密やかな風を表すのではないか。
[ 明るい風、かぐはしい風、「やさしい化性の鳥」と「石竹いろの時候」と―賢治の現実
「七五 北上山地の春」では、目的地の種馬検査場での風景が描かれる。
◎明るい風 かぐはしい風
……明るい丘の風を恋ひ/馬が蹄をごとごと鳴らす
周辺の厩の中では馬が外の風を思うかのように蹄を鳴らす。ここでは風は見えないが、大切に育てられた馬を思う賢治の想いと風が結ばれている。大事な馬は孔雀の石、孔雀石のような美しい空の下を進んでいく。そして、そこで生活する人の姿が、歌いあげられる。
◎かぐはしい風、雲滃を運ぶ風、燃える頬を冷やす風
……おぼろな雪融の流れをのぼり/孔雀の石のそらの下/にぎやかな光の市場/種馬検査所へつれられて行く……
……かぐはしい南の風は/かげらふと青い雲滃を載せて/なだらのくさをすべって行けば/かたくりの花もその葉の斑も燃える/黒い廐肥の籠をになって/黄や橙のかつぎによそひ/いちれつみんなはのぼってくる
そして雲の影をなだらかな丘の上に映して吹くのは「かぐはしい南の風」、丘いっぱいに豊かに流れる風であろう。人々は、馬の晴れの日を祝って、自身も美しく装うのである。風は「その大きな栗の陰影に来て/その消え残りの銀の雪から/燃える頬やうなじをひや」し、労わるのだ。
◎石竹いろの時候
さらに、この詩の最終章では、輝かしい牧場の風景から一転して自分に向けられる言葉「石竹いろの時候」の示すものは、賢治の内面の動揺なのであろう(注1)
……しかもわたくしは/このかゞやかな石竹いろの時候を/第何ばん目の辛酸の春に数へたらいゝか
と続く。
生れ出る春の神々しさとそこに生きる人や馬の輝きのまえで、見つめた自分の姿は肯定も否定もできなくて立ちすくむのであろうか。生身の賢治を描く伝記的な事実(注2)よりも、賢治がいかにその心情を作品に描いたか、を私は感じ取りたい。
この詩群で描かかれる風は、何を意味するか。
「希望の場所」、種馬検査所に向かって、ひたすら歩きながら、周辺の風景の中に、自己は埋没されていく。
風は、触感を刺激する唯一のものである。共感覚を刺激し、香りや、形状、色を伴うものとなる。
光は、夜明けに向かい、月は一つの崇拝の対象となる。一方で、科学的知識によってエステルの香りも感じる。
この象徴的表現は、この詩群を特徴づけ、この時代の賢治の心象を描くものではないだろうか。また「異途への出発」詩群、「種山ヶ原」詩群、それぞれの時代に違った風を描いているのではないか。
これから考察を進めていきたい。
注1大塚常樹『心象の記号論』228ページ〜233ページ) 「桃色の花の記号論 二章
石竹の花―ピンクの記号論」)
注2『賢治隋問』角川書店 昭和45年 131ページ 「賢治の横顔 禁欲」