宮澤賢治、風の世界

宮澤賢治の作品を彩る言葉と風を追って宮澤賢治の世界を訪ねよう。 賢治は風という言葉に何を託したか。風を描くためにどんな言葉を選んだか。 賢治は何を求めて風の中に身を置いたのだろう。 そこに少しでも近づきたくてページを埋めていく。
 
永野川2025年10月上旬
5日 9:00〜11:00 薄曇 24℃

 涼しくなってきたので午前中の探鳥に切り替えてみました。
 日曜日でも、早朝よりも幾分、車の通行量、遊園地で遊ぶ子供、駐車場の車、人も増えています。
 合流点で、オオバン1羽、来ていました。カルガモの近くで潜水したものがいて、出てきたのがオオバンでした。印象より大きく見えました。2025年1月下旬以来、久しぶりです。定着して繁殖してくれないかな、と思います。
 赤津川に入ったところで、カイツブリが1羽、こちらもここで無事繁殖してくれるといいのですが。公園の池より水質はよく、安全かもしれません。
 赤津川の水田にはチュウサギが転々と7羽、まだいてくれたのが嬉しいです。ダイサギも1羽、少し離れていました。また永野川睦橋付近でも1羽、ダイサギは今の時季は群れないようです。
 赤津川で、カルガモ17羽に混じって、換羽中のマガモ♂が来ていました。これは嘴や、いくらか見え始めた羽の模様でわかりました。前々回きていたカモにはその後会えませんが、マガモではありませんでした。
 赤津川の電線でハシボソカラスが何かと縺れているのが見え、そのうち少し小さめで尾の細いものが逃げました。おそらくチョウゲンボウだと思います。いつも思うのですがなぜワシタカはカラスに負けるのでしょう。
 滝沢ハムの池にはアオサギ1羽のみでしたが、カワセミが1羽縁に出てきました。近かったのでよく見られるチャンス!と思ったのにすぐ飛び去りました。後に、上人橋の下でも1羽いました。
 公園のハリエンジュでモズが高鳴きしていましたが、そのうち何か別の小鳥の声に変わりました。でも小鳥にしては大きい声で、小鳥の動きも見えず、モズの鳴きまねだったようです。
 大岩橋を越えたところで、雨がぱらついてきました。家まで引き返すには遠いので、とにかく大砂橋までいってすぐ引き返しました。公園に入ったら、止んでくれたので、コースをすべて回ることができました。
上空の雲のせいで、所によって降るようで特に山際ではよく降られます。
 
 オオバンやチョウゲンボウには会えたのですが、小鳥には、コゲラ1羽以外会えませんでした。朝よりも時間的にゆっくりできるのですが、やはりもう一度早朝にしようか、とも思います。
 
カイツブリ: 赤津川 泉橋付近1羽。
オオバン: 合流点 上人橋近く1羽。
キジバト: 公園2羽、滝沢ハム林1羽、計3羽。
カルガモ:合流点、3羽、3羽、3羽、赤津川2羽、17羽、3羽、
 大岩橋付近上空14羽、5羽、公園 西池2羽、永野川 二杉橋付近  
 4羽、1羽、計48羽。
マガモ: 赤津川♂換羽中1羽。
ダイサギ: 赤津川水田1羽、公園東池1羽、計2羽。
チュウサギ:赤津川水田1羽、1羽、1羽、2羽、2羽、計7羽。
アオサギ:赤津川1羽、公園東池1羽、計2羽。
チョウゲンボウ: 赤津川水田電柱に1羽。カラスに追い払われる。
モズ: 合流点1羽、赤津川1羽、1羽、公園1羽物まね、3羽、計7羽
カワセミ: 合流点1羽、滝沢ハム池1羽、計2羽。
コゲラ: 滝沢ハム付近サクラ並木で1羽。
スズメ:赤津川5羽、永野川睦橋付近7羽、計12羽。
ハシボソカラス: 赤津川5羽、公園3羽、滝沢ハム付近1羽、計9羽。
ハシブトカラス: 公園2羽。
オナガ: 永野川二杉橋付近1羽。
ヒヨドリ: 合流点5羽群れ。永野川1羽、5羽、計11羽。
セグロセキレイ:合流点3羽、2羽、赤津川2羽、大砂橋付近1羽、
 永野川2羽、1羽、1羽、2羽、計14羽。
ガビチョウ:大岩橋付近山林1羽。

 
 







今年のイーハトーブ
 まず、イーハトーブ館へ、興味ある参考書を探し、賢治グッズを手に入れます。ホールでは「注文の多い料理店」の映画や、作品展をやっていましたが、花巻駅に向かうバスの時刻まで40分ほどだったので、割愛しました。南斜花壇から記念館へ、いつもの通り、初秋の風のなかで、青い栗の実が落ちていたり、小鳥の声が聞こえたり、ゆっくりしたいのを我慢して「よだかの星碑」まで行き、階段を下ってバス停へ。このバスを逃すと全く予定が狂ってしまいます。
 花巻へ行くバス待ちをしていた時、地元の女性とお話できました。記念館などの建物ができるには広い面積の森林が伐採されたこと、朝晩流れる賢治の歌曲のこと、同級生の賢治の妹さんの娘さんがお母さんそっくりだったこと、清六さんが真剣に賢治の資料を守って伝えてくれたこと、など、花巻では自然な形で賢治の情報が多くの方に共有されていることを実感しました。
 賢治はなぜ自然や宇宙のことなど、あのように美しい文章にできたのかと話され、同感でした。すべての賢治への愛がそこから始まっているのだ、と思いました。盛岡の県立博物館に行くと、賢治の愛した岩石や、花巻の郷土玩具などもたくさん展示されているということも教えてくださいました。
 
 少し前、イギリス海岸の川床が見えたというニュースがあって、行ってみようと思いました。今日はバスにはめぐまれていて少し待ってバスに乗りました。バス停からだと以前来た時とは逆方向から歩くことになりました。歩行者、車椅子用の歩道が整備されて、安全に歩けるようになっていました。
 残念ながら川は水をたたえて流れていましたが、岸の古い地層ははっきり見え、クルミの木も健在でした。小舟の渡しまで行こうと思いましたが、時間も気になり、また来た道を引き返しました。

 宮沢賢治学会では、花巻市民の会の越後美智子さんが、宇都宮セミナーをとても評価して下さり、頑張ってよかった、と思いました。 懇親会でも会場を駆け回って盛り上げて下さる地元の方には頭が下がりました。
 会場で偶然手にした、「オアシス」という小冊子には、花巻の賢治の情報をいつも送り続けて下さる、泉沢善雄氏や板垣寛氏のお元気なご文章がありました。白取克之氏の「東北農民管弦楽団」の誕生と発展のお話も初めて知り感動しました。中村満敬氏のご文章では吉見正信さんの教師の一面を知りました。小さな情報源に詰まった花巻の賢治愛を強く感じました。
 
 懇親会の参加者の中で、四人で水沢の天文台で賢治を読む賢治の会を続けていらっしゃる方とお話しできました。種山ヶ原大好きな私は、最初にお話を聞いただけで、舞い上がって自分の想いを吐露してしまったようで、もっとよくお話を聞いておけばよかった、と後悔しています。
 小菅健吉さんの調査を続けていらっしゃる方、関西におられた時の小菅さんの履歴を詳しくお調べでした。一昨年、研究発表をなさった方で、そのときも宇都宮のセミナーのために栃木・宮沢賢治の会でも集めていた小菅さんの資料を差し上げられたらよかった、と思っていましたが、今日お会いできることも知らず準備できませんでした。
 私は、人と話すのも聞くのも下手なのだとつくづく反省しました。
 念願のマルカンデパートのソフトクリームもいただき、豊かな気持ちで一日が終わりました。
 
 23日は、小岩井農場へ。ここは私がが初めて一人旅をしたイーハトーブです。その時の息をするような風が忘れられません。
 詳しい方に農場の本部の建物から、姥屋敷、沼森など、賢治が歩いた場所を案内していただいたり、雫石セミナーに参加したり、少しでも小岩井農場に描かれた場所を求めました。
 その後、栃木・宮沢賢治の会の「イーハトーブへの旅」でも農場から鞍掛山から、春子谷知湿原、溶岩流まで回り、とても大きな経験ができました。
 2017年、一人で来たときは、宮沢賢治に関するイベント、展示などがたくさんあって、幸い「狼森賢治ウオーク」に参加でき、他ではできない体験となりました。今回も少し期待していたのですが、全く、そのような企画はありませんでした。
 今日は、バスという限られた手段と時間、自分の体力の中で許された小岩井農場の「まきば園」の中のみを歩きました。「まきば園」は整備された「楽しい遊園地」ですが、絶景の岩手山が望め、牛舎やサイロ、資料館は昔のままです。静かな資料館でビデオを見ながら休憩を取りました。
 林に囲まれた一角に宮沢賢治「小岩井農場パート二」の詩碑があります。周囲は綺麗に手入れされ、緑色の風を受けているように感じました。
 碑の建立時、建立の発起団体「雫石賢治の会」の「雫石セミナー」に参加させていただき、牛乳で乾杯した思い出が強く残っています。
 
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
 
 あらためてこの景色の中で読むと賢治の小岩井農場への想いが迫ってきて、震えました。
 詩碑には誰も訪れてはいませんでした。そのことで、すべてを独り占めしたような幸せな気持ちになりました。
 「詩碑」の存在は、訪れた人に、作者と作品と風景を結び付けるものとなることを初めて実感しました。今までは単なる観光名所と思えてあまり共感できませんでしたが、これからは他の詩碑も訪ねてみようかと思います。
 
 朝、花巻から盛岡に向かう東北本線は、一関―盛岡間の2両編成の通勤通学列車でした。賢治が北海道や樺太を目指した当時はもっと両数も多く、ボックスシートで、汽笛を鳴らして走っていたことでしょう。でもやはり、東北本線に乗ると賢治も乗った路線だという思いが生まれます。いろいろな作品に登場する駅名が次々に現れ、空想を呼びます。多分変わっているのに、なぜか昔のままの生活があるように思えてしまいます。
 線路際に、元気な緑の濃いクズなどが間近まで生い茂っていました。我が家の近隣では路線の周囲の雑草として刈り取られているものが、意味あるものとして残されているような気がします。
 花巻に来る途中の新幹線でも、岩手に入ると、車窓から見る林や森が緑色濃く盛り上がっているように思いました。これが東北の厳しい気候の中で育つ自然なのか、と思います。賢治の作品の根底にも、それを感じて読んでみたいと思います。
 
 今年の旅は、心に残る出会いと好天に恵まれて、短くも輝くような時を残してくれました。

 
 
 
 







永野川2025年9月下旬
28日 6:00〜8:00 薄曇 20℃
 めっきり涼しくなりました。睦橋から永野川に出てみました。水が澄んでいて、ほどほどに中州も見え、落ち着いています。
 セグロセキレイが上人橋までにそこここに7羽、ハクセキレイも1羽、1羽と見え、ここは護岸になってもセキレイの川だな、と思います。
 二杉橋と睦橋の真ん中くらいで、カワセミが1羽、下っていき、その後を追うようにもう1羽下っていきました。そして少し上流からもう1羽が昇っていきました。
 カワセミがこんなに一度で見られるのは初めてです。少し小さめで色彩も少し違っていたのは、若鳥だったのかもしれません。以前はこの辺りの川岸には巣穴もあったのですが、護岸に覆われ、無くなったと思っていました。どこかにあるのかも知れないと思うと胸が弾みます。赤津川では成鳥1羽にも会いました。
 
 二杉橋近くで、イカルチドリ1羽が下って行った、と思ったら、その後を追うように3羽が下っていきました。さらにその上流で1羽が昇って行きました。ここも中州は少ないのに、イカルチドリやイソシギによく会います。やはり鳥の好きな川なのでしょうか。
 ヒヨドリが1羽川岸の民家の樹木にとまっていました。公園に入ってからも3羽で鳴くのもいて、ヒヨの季節になったなと思います。
 公園の東駐車場の落葉高木に鳥が盛んに動いていました。
まずコゲラの声が目立ち、その後エナガが群れているのがわかり、その中にメジロが混じっていました。私が初めて見る大きな混群でした。ここはあまり来ないところですが、今度はいつも来るようにしたいと思います。
 公園の池のサクラの木にシジュウカラの若鳥が3羽、控えめな感じです。コゲラが1羽、目の前の枝にとまって、ゆっくり見ることができました。池には何もいませんでしたが、周囲も鳥の好む場所となっているのだと知りました。
 公園の川の中の草むらにホオジロが鳴いていました。一瞬ガビチョウの大きな茶色が中で動きました。
 大岩橋の近くの山林で、大きなカケスの声、多分3羽以上いそうです。今季初、季節の到来です。カケスの繊細な青い模様が好きなのですがなかなか姿を見せてくれません。
 河川敷で、もうウグイスの地鳴きが聞こえ、春を思います。
 滝沢ハム池にカルガモが22羽、戻ってきました。でも近づくとさっと飛び立ちました。以前はこんなに用心深くなかったのですが、移ってきたばかりだからでしょうか。
 
ヒガンバナが咲き始めました。
ヒヨドリや混軍、カケスの飛来、探鳥の季節の始まりです。
 
カワウ: 永野川二杉橋付近上空2羽、寄り添うように。
カルガモ:永野川睦橋付近2羽、2羽、公園9羽、滝沢ハム池22羽、 
 赤津川5羽、11羽、計51羽。
ダイサギ: 公園川1羽、合流点1羽、計2羽。
チュウサギ:赤津川水田1羽、1羽、1羽、1羽、計4羽。
アオサギ: 二杉橋付近一羽、赤津川1羽、1羽、1羽、1羽、計5羽。
イカルチドリ: 永野川二杉橋〜睦橋1羽、5羽、計6羽。
モズ: 永野川二杉橋付近1羽、公園1羽、池1羽、
 大岩橋付近山林1羽、赤津川1羽、計5羽。
カワセミ: 永野川、二杉橋〜睦橋1羽、1羽、1羽、赤津川1羽、
 計4羽。
コゲラ: 公園東駐車場大木で3羽、公園池桜の木で1羽、計4羽。
スズメ:永野川二杉橋〜睦橋2羽、7羽、大岩橋河川敷10羽、
 計19羽。
ハシブトカラス: 公園2羽。
カケス: 大岩橋付近山林で3羽、声
ヒヨドリ: 永野川二杉橋〜睦橋1羽、公園1羽、1羽、3羽、計6羽。
ウグイス: 公園川草むら1羽、大岩橋河川敷1羽、地鳴き。
セッカ: 赤津川水田1羽。
セグロセキレイ:二杉橋〜上人橋、2羽、1羽、2羽、1羽、1羽、
 計6羽。
ハクセキレイ:二杉橋〜上人橋1羽、1羽、計2羽。
シジュウカラ:池サクラに幼鳥3羽。
メジロ: 公園東駐車場7羽。
エナガ: 公園東駐車場10羽、滝沢ハム付近7羽、計17羽。
ホオジロ:公園川草むら1羽。
ガビチョウ:公園で1羽、草むら1羽、大岩橋付近河川敷1羽計3羽。

 
 







永野川2025年9月中旬
16日
6:00〜8:00 晴  22℃
 
 少し涼しくなり、歩きやすくなりました。
 この前のカモSPを見たくて、もう一度赤津川から回りました。でも全体カルガモも少なくて、カモSPもいませんでした。
 自宅からも聞こえましたが、14日、公園で花火大会があったようで、草地が広い範囲で刈り取られていました。そのせいでカモたちも移動しているのでしょうか。カモがどのように近距離を移動するのか知りたいものです。
 公園池のカイツブリの巣も消えていました。どうやって移動したのか、気の毒な気もします。もう卵は孵っていたのでしょうか。
 滝沢ハム池に鳥が戻ってきたようです。それには救われます。なぜか今年は池までの草地の草が伸びすぎていて、今のところは近づけないので、冬を待ちます。
 
 赤津川ではまだセッカがいました。
 またモズが、歩くとあちこちで声が聞こえ5羽ほどいました。高鳴きなのか?ただあまり目立つ場所にはいないのですが、目立つ声です。
 
 滝沢ハム付近の草むらで、かなり大きいコッコッコという感じの声がしました。記憶が薄れていましたが、鳴き声図鑑でコジュケイと確認しました。その後公園内では囀りの声が大きく響いていました。
 ガビチョウは声が以前より小さくなってきたようでしたが、公園を歩くにつれて2か所で聞こえました。大岩橋を越えると、河川敷の草むらが動き、大きめのものが2羽林の中へ移りました。はっきりと眼の周りの白が見えました。だんだんごく身近な鳥になっていくのでしょうか。
 河川敷近くの電線にセグロセキレイ2羽が囀っていて、近くに小さめの鳥がいましたが、都合よく、低い垣根にとまりました。あまり模様のない体と可愛い眼、もうジョウビタキ♀が来たか、と思い、見続けましたがどうも脇の白斑が見えません。それに背が少し黒かったのです。そのうち飛び立ってしまい、
 家で図鑑で確認、これはノビタキ♀だったと思います。ノビタキは数年前までは年に1度くらい観察例がありました。渡りの途中、よく私の目の前に来てくれたな、と思います。
 永野川では久しぶりでハクセキレイが鳴きながら飛んでいました。
 睦橋付近でアオサギが羽を広げて乾かしていて、私が川を下って戻って登ってきてその間10分ほど、まだ同じ姿勢でした。
 暑さが続くのに鳥の季節変化は早い気がします。暑さに負けないで、と言いたくなります。

 公園のクルミが青い実をたくさんつけていて収穫する人もいました。恵みの秋です。それぞれがそれぞれに季節の中で動いています。
 
コジュケイ: 滝沢ハム付近草むら地鳴き1羽、 公園で囀り1羽、
 計2羽。
カルガモ:合流点4羽、滝沢ハム池5羽、大砂橋中州1羽、
 永野川1羽、4羽、1羽、計16羽。
ダイサギ: 合流点1羽、1羽、赤津川水田1羽、1羽、計4羽。
チュウサギ:赤津川水田1羽、3羽、計4羽。
アオサギ: 合流点1羽、滝沢ハム池1羽、公園西池1羽、永野川1羽、
 計4羽。
モズ: 赤津川水田で1羽、1羽、1羽、1羽1羽、計5羽。
コゲラ: 大岩橋付近山林で1羽。
スズメ:赤津川水田で14羽。
ハシボソカラス: 合流点2羽、3羽、公園3羽、計8羽。
ハシブトカラス: 滝沢ハム付近2羽。
セッカ: 赤津川水田1羽。
セグロセキレイ:大砂橋付近2羽。
ハクセキレイ:永野川1羽、1羽、1羽、計3羽。
メジロ: 大岩橋付近山林2羽。
ノビタキ:大岩橋付近田で1羽。
ホオジロ:大岩橋河川敷で1羽。
ガビチョウ:公園で1羽、1羽、大岩橋付近河川敷2羽、計4羽。

 
 
 
 







2025/09/02 11:58:02|わたしたちと兄
姉たち 三
追悼
 5月末の長姉キク子に続いて、8月16日にすぐ上の姉ミチ子が91歳で亡くなりました。最後に会ったのは、2019年春でした。
 次姉がいる高齢者施設に会いに行ったとき、ちょうど自宅に戻っていた姉の息子Мちゃんと連絡が取れ、施設に連れて来てもらいました。それぞれの孫の話に話が弾み、私は久しぶりに実家に帰れたような気分になりました。姉は元気でしたが、話に加わることなく穏やかに笑っていました。  
 2018年義兄が他界してから、それを忘れたいかのように症状が進んだようです。でも帰りには私のことも思い出してくれました。
 3人の姉が外出できるときに、どこかで会食のセッティングをしよう、と思っていたのですが、私の悪い癖で引き延ばしているうち季節は進み、2020年2月からは新型コロナが4年近く蔓延して外出もままならなくなり、それぞれ姉たちの症状も進んでいきました。
 姉はその後グループホームに入居して穏やかに過ごしていましたが、この一カ月ほど症状が重くなり老衰での死去ということでした。
 
 姉とは9歳年が離れていますが、一番年が近かったので、幼いころはよく遊んでもらいました。細やかなところに気のつく姉で、おままごとのお皿には、周りの草花から、私が考えもつかないような、綺麗なご馳走を並べてくれました。
 姉妹の中ではただ一人理系で、いつも勉強していて、騒ぐと叱られた記憶もあります。
 生まれた町で教職に就き、同僚だった義兄と結婚し子供二人に恵まれ、定年まで教職を全うしました。現在よりも働く環境は整わなかった時代、本人の情熱と家族の理解の賜物でしょう。
 晩年になってからもいろいろ興味を持ち、私が野鳥観察をやっていると言ったら、高崎付近の探鳥会を教えて、と言われたので調べてあげ、手持ちの野鳥図鑑も送りました。
 式辞の中で、「真面目で熱心な先生」という言葉が繰り返されました。姉はいつも優秀な教師だったと思いますが、それだけに本人は苦労が多かったと思います。

 私が高校のころ、姉二人は相次いで嫁いでいき、私は一人取り残された気分でした。
 兄が32年前に亡くなった時の別れは悲しくて、こんな思いをするくらいなら、姉妹のなかで私が一番早く死ねばよいのだ、と思いました。 
 でもその思いは叶わず、今年になって立て続けに別れに遭遇しました。二番目の姉が元気でいてくれるのが一番の幸せです。思い出を語りあえる人は少なくなり実家の周辺も変わりました。甥や姪がまだ昔を覚えていてくれるのが小さな幸いです。
でもやはり過去にとらわれることなく、短くなってきた自分の未来を充実させて生きるのが、姉たちへの恩返しかと思います。

 







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