栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
CATEGORY:小山市に伝わる話

2012/05/13 22:22:44|小山市に伝わる話
「鰻を食べない里」の話の舞台へ
  うなぎを食べない里 


 むかし、野木の星の宮神社にある池には、たくさんのうなぎがいた。ある日、この神社の近くの家の男の子が大うなぎをつかまえて、焼いて食べてしまった。次の日、この子の目は真っ赤にはれあがり、終いには見えなくなってしまった。村人たちは、うなぎは星の宮神社の神様のお使いで、うなぎを食べると神様のたたりがあるという話が広まって、村のものは、うなぎを食べなくなったという。


 今日は五月晴れという言葉が似合う、穏やかで清々しい天気だった。

 栃木テレビでテレビ民話を放送しているが、昨日、前回録音してきた「千駄塚」が放映された。次回、野木町の民話をリクエストされたので、午後、野木町潤島の星宮神社に行ってきた。

 野木町史の地図とカーナビをたよりに探したら、東北線沿いの、麦畑の中に緑豊かな森があってその中に神社は鎮座していた。

 境内には力石が置かれていたり、稲荷神社の祠もあったが、さて、問題の池はどこにあるのだろうと探したら、本殿の奥の西側にあった。転落防止のためか、金網の柵で覆われていて鍵がかかっていて中には入れない。水は暗く澱んでいて、底の方に大ウナギがひそんでいるかもしれないと思わせる雰囲気があった。

 熱心にお参りしているご婦人がいたので何か話が聞けるかと思い声をかけた。
「小山から一時間かけて歩いてきたんですよ。神社の詳しい事はわかりませんけど、この神社は大変ご利益があるから大事な試合の前には必ずおまいりするんです。今週また、あと二回お願いに来ます。」
とのことだった。

 その後、近くの旧家の御当主と奥様に話を伺うことができた。これを基に、6月号のモダンタイムスの原稿と、栃木テレビに提出する原稿を書こうと思う。






2012/05/13 0:05:38|小山市に伝わる話
千駄塚の由来
    千駄塚の由来

昔、むかしの話だ。
安房神社のそばに、牧の長者という大したお大尽様がいた。広い屋敷にはいくつもの蔵がずらりと立ち並んでおったと。
ある時、陸奥の国から来た商人(あきんど)がここを通りかかった。珍しい蜜蝋や漆の入った千駄の荷物を馬に積んで鎌倉に向かう途中だったが、日が暮れてしまったのでこの長者の屋敷に泊めてもらったと。
その夜、長者と商人は酒を酌み交わしながら話しに花が咲いた。はじめは商人の旅の話を聞いていたが、そのうちに長者が自慢話を始めたと。
「わしの家には、白い鶏の掛け軸があって、毎朝コケコッコーと、時を告げるんだ」
「嘘つくんじゃねえ。絵に描いた鶏が鳴くわけねえ」
「嘘じゃねえ、本当のこった」
「いや、嘘だ」
いい争っているうちにむきになった商人は、
「絵に描いた鶏が鳴くなんてことある訳ねえ。明日(あした)の朝、鶏が本当に鳴いたら、馬に積んできた千駄の荷物、全部くれてやる」
と、馬千頭に積んできた蜜蝋や漆を賭けてしまったと。
その夜、床の間には、宝物の絵が掛けられ、長者と商人は枕を並べて寝たと。
次の朝のことだ。
「コケコッコー」という鶏の鳴き声に、商人は、たまげて目えさました。
ねむい目こすりこすり床の間見ると、白い鶏が生きているみてえに、うすっくらい中に浮かび上がっていて、もう一声「コケコッコー」と鳴いたと。
 商人はすっかり恐れ入って、約束どおり、千駄の荷物を置いて、空馬引いてとぼとぼ帰って行ったと。

 さて、その次の年、商人がまた、馬に千駄の荷物を積んで長者の屋敷にやってきた。商人は長者に、
「昨年はいいものを見せてもらった。だけんど、里へ帰ってから誰に話しても相手にされねえ。夢でもみたんじゃねえかって思って・・・。すまねえが、もう一度見せてくれねえか。もし、掛け軸の絵の鶏がほんとうに鳴いたら、持ってきた千駄の荷物をまた置いていこう。でも、もし鳴かなかったら、去年の荷物の蜜蝋や漆を、全部返してくれろ」
と言ったと。
「ああ、分かった、分かった。何度でも見せてやろう」
長者は承知した。
 その夜、床の間には、宝物の掛け軸が掛けられ、長者と商人は枕を並べて寝たと。次の朝、遠くで、コケコッコーと他の家の鶏が鳴くのが聞こえたのに、どうしたことか、掛け軸の鶏は、明るくなっても鳴かなかった。
「やっぱり、鳴かなかったでねえか」と言うと、商人は約束どおり、昨年置いていった蜜蝋や漆の入った千駄の荷物を取り返して馬に積むと、
「今年持って来た荷物はしばらく預かってといとくれ」
と言って、馬引いて笑いながら帰っていったと。
 後で長者が宝物の絵をよく見てみると、鶏の首のところに針を刺した穴が開いていたんだと。してやられたと思ったがあとのまつり。商人はそれっきり、二度と長者の屋敷に来ることはなかったと。商人が残していった荷物を長者が開けてみると、中は籾殻や瓦っかけばっかりたんだと。
 長者はこの荷物を埋めて塚を築いた。これが今に伝わる千駄塚なんだとさ。         おしまい。






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