かたつむりびっつの言いたい放題

このブログは、まれに過激な表現が含まれます。脳みそが止まることを覚悟の上、用法用量を守り、正しくお読みください。(R20推奨)  なお芸風を把握されていない「一見さん」のご意見コメントに関してはマジレスする上でシカトすることがありますのでご承知おきください。    ψ(`∀´)ψケッケッケッ…
 
ピンクリボン協賛の訳。辛気くさい話が嫌いな方はご遠慮ください。
母と家族の癌との闘いは、
毎回受診していた乳がん検診をたった一回受けなかったことから始まります。
その次の検診でポリープが見つかり、病院で検査し手術することに…

8時間と長時間に及んだ手術…
「リンパ節に転移していたが丁寧に取り除いた」との医師の説明に私は「リンパ節」という言葉に「丁寧に取り除いた」との言葉は耳に入らず安堵感でなく絶望感を覚えました。
手術後回復すると信じ、病室のカーテンレールに紐をかけ腕を上げ下げしリハビリに励んだ母…

手術後も毎年2〜3回の入退院の繰り返し…入院する度に抗癌剤で髪が抜け落ちました。
見かけによらずおしゃれだった母は、見舞いのお客様が来られるたびにヴィック(かつら)をかぶり気丈に振舞っていました。

闘病4年目ころ強い抗癌剤へ切り替えた途端の拒絶反応…全く受付けませんでした…これが致命的だったのでしょう。

帰宅すると布団に寝ることなく、ずっと居間にうつぶせで横になっていた末期、
ちょうど9・11テロのころでした。
この頃、診察時間外の診察室に呼び出され担当医師に余命宣告されました。
「肝臓に転移していて転移したがんは、スプレーで霧吹きされたような状態で処置のしようがありません。(中略)あと3ヶ月です。(中略)コーヒーや油ものなど刺激の強いものは飲食させてはいけません」
でも、どうせ3ヶ月しか生きられないならと
食べたいもの、飲みたいものの要望に応えました。
口にする量は、ほんのわずかでしたが…

この頃には父の認知症が進行し母の病状を省みず、自分勝手な振る舞いをする父に母の余命を知らせようか否か悩みました。
しかし、気が弱い父だったので知らせられませんでした。
父のため、苦しんでいる母を犠牲にした判断で自分は今でも
「自分は冷酷な鬼畜だ」と思っています。
ある朝の出勤前「だるいだるい」と言いながら居間に横になっている母に(父と母の板ばさみになっている)自分の気持ち、わだかまりが噴出し、
「それだったら病院に行けばいいじゃん!」と大きな声を出してしまいました。
今、考えれば母は少しでも住み慣れた家に居続けたかったのですよね?
帰宅したとき、居間に母の姿はありませんでした。
少しして叔母から電話があり、「具合が悪くなったから入院したよ」とのこと…
自分には、ついに「最期のとき」が来たと確信しました。
そのあと父に、余命の話をしました。今、考えれば突然「もう帰ってこない」との言葉は、
父には残酷なことをしたと思います。

入院して2日目からモルヒネの投与が始まりました。
でも、この日は私の存在は確認できたようです。
遅れて病室に入った自分を見て「ハッ」という反応をしましたから…

3日目、病室の壁をうつろな目で見て「綺麗なお花畑…」と言っていました。
この日から吐血がはじまり、モルヒネで人でなくなった母に
兄弟で「歯が抜けたから血が出たんだよ」となぐさめていました。この頃からベルトでベッドにくくり付けられていました。

毎日、仕事のあと病院へ行きました。

入院して5日目…嫌な予感がして私は会社を休んだら、9時ごろ妹から電話…
「容態が悪化したから、早く来て!」
一応の服装で病院へ…
面会謝絶の個室で延命措置が行なわれましたが、医師が出てきて
「これ以上、処置をしても体を傷つけるだけ」との言葉に、
私は納得の返事をしました。
直後、個室からあわただしく看護士が口から吐血によりシーツを真っ赤に染めたベットごと
遺体を処置室に運び出しました。
数十分後、処置室から個室に戻された母は死に化粧され、
こけた頬も脱脂綿が口に詰められ、忘れていた元気な頃の母の姿に驚きました。
でも、点滴が注入されていた足の親指にはモルヒネで理性を失い外し方の要領もわからず本能のまま、テーピングで固定されていた針をむしり取ろうとした青あざがくっきりと残っていました…

頼りない父を支えつつ3人の子供を育て上げ、
衝突の絶えなかった父と自分の板ばさみになっていた母…
いつも優しく時には厳しく…
わが家で一番功労者の母に何の労いもできなかった情けない「長男」の自分…
性格も丸くなり、感謝の気持ちで
「旅行にいこうよ」
「なにか欲しいものある?」って言いたいときに母はいない…

同じ思いをする人が無くなることが自分の母への償いになると思いました。

これが、自分がピンクリボンの啓発に協賛する理由です。

公約します。
もし栃木市内でピンクリボンマグネットステッカーを貼っている車を10台見かけたら、自分はピンクリボン以外の(車の特徴表記以外の)ステッカー、スライド板を全て取り外します。




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はじめまして
はじめまして。
読んでいて涙があふれました。

母に何の労いもできなかった情けない「長男」の自分…

そんなふうに思わないで下さい。
今こうして、リンクリボンの啓発に協賛しているあなたを見て、お母様は喜んでいらっしゃると思います。

20歳から乳がん年齢なんですね。。知りませんでした。
まだ大丈夫と思っていましたが、機会があったら受けてみようと思いました。

とうふ  (2006/10/04 10:00:59) [コメント削除]

タイトルミス
「他人どと」ではなく「他人ごと」でした。
目もかすんでいたので・・失礼しました。

みいちゃん  (2006/10/04 8:33:15) [コメント削除]

他人どとではありません
このブログを読んで涙がでてしまいました。今キーボードがぼけて見えています。珍しく化粧した顔も・・・
もしかすると私の姿であったかも知れない貴方のお母様の姿、私は是非ステッカーを貼った車に乗りたいです。もしかして貴方の車とすれ違うかも知れません。
乳房を片方失っただけの私はまだ幸せ者なのかも知れません。

みいちゃん  (2006/10/04 8:29:34) [コメント削除]

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