「神の国はいつ来るのか」 というパリサイ人の質問に端を発したイエスの話が続きます。
先ず、「あなたがたのただ中にあるのです。」 と言って、神による霊的レベルの支配がすでに始まっていることを気付かせようとされた。
次に、福音宣教が初めの熱を失い世俗化してしまうと、イエスが再び来られる。 「人の子の現われる日」 という言葉を用いているが、「すべての人が滅ぼされます」 と話されたように神の裁きがあることを予告されたのだ。
ここで、イエスは 「ノア」と 「ロト」 の例を示された。
オウム真理教事件以前に 「イエスの箱舟」 と言う名の新興宗教が話題になったのだが、あれは、イエスの十字架による贖いによる赦しと、その救いにあずかる集団として 「ノア」 を 「イエス」 に代え、 「ノアの箱舟」 による救いを連想するように付けたものだろう。 私の想像に過ぎないが 「イエスの箱舟」 に加わったメンバーは 「人の子が現われる日」 の神の裁きから逃れられると教えていた可能性がある。
23節に 「こちらだ」 「あちらだ」 とか言っても という表現があるが、 「イエスの箱舟」 のようにいろいろな教えがはびこる時代が始まっている。
それに続くのが今回の記事だが、その時が来たときの注意事項を弟子たちに話されます。 ルカによる福音書 17章です。お手元の聖書で、確認しながらお読みください。
(その日、家財を取りに戻るな。後ろを振り向くな。)31〜32節 (自分のいのちを救おうと思うな)33節
(一人は取られ、他の一人は残されます。)34〜35節 (死体のある所、そこに、はげたかも集まります。)37節
(私が持つ聖書の補足欄から) 31〜35節 : 再臨を待つ姿勢は、神の国の働きのために求められる姿勢と少しも違わない。 A.後ろを振り向くな(31〜32節)←→9章62節 B.神と富に兼ね仕えるな(31、33節)←→16章13節 C.自分の救いの達成に努めよ(34,35節)←→14章26〜35節 、 ピリピ2章12節
37節 はげたか : 審判の象徴。 27,29節で示す 「すべての人を滅ぼしてしまう」 審判が普遍的に訪れる。
(私の思索) イエスは、いつも真理を例えで語る。 ここも例外ではない。 読み方を誤るなら 「イエスの箱舟」 と同じ過ちに陥る。
聖書全体を把握するには、先が遠い。 イエスは、 「あなたがたを休ませてあげます。」 といったが 「舟に入って休み続けなさい」 とは言われなかった。 良い指導者か、何らかの参考書が無いと前に進めない。
(私の脳裏をかすめる言葉) 約束のことを遅らせておられるのではありません。 Uペテロ 3:9
(私の感想) 補足欄の 「審判が普遍的に訪れる」 というコメントが厳しい。 しかし、人類が本来の愛する存在に戻れるために、いのちを差し出して下さった事を聞いているのに、それから目をそらしたり無視したりし続けるなら、最後に審判を下すことは、避けられない神の義か。 悪に苦しみ、日夜裁きを待ち望んでいる聖徒がいるのなら、いつまでも遅らせることは無いのだろう。
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