パリサイ派のある指導者の家であったエピソードが続きます。 ルカによる福音書14章です。
(人々が上座を選んでいる)7節
(例え話:婚礼の披露宴に招かれたときには、末席に着きなさい。)8~10節
(高くする者は低くされ、低くする者は高くされる)11節
(私が持つ聖書の補足欄から) 3~5節 : イエスは彼らの利己主義を取り上げて、7節以下の説話を続けられる。(前回の範囲) 7~11節、 「婚礼の披露宴」 : 最も席次のうるさい場面で、招待者の方で席順を決めてあるのが普通。 この例えは、真の謙遜を教える。 要は、神の評価にすべてをゆだねて、自らは末席を選ぶこと。
(私の思索) この記事は、平素の安息日での出来事だが、イエスが披露宴に例えていることが気がかりになった。 マタイによる福音書22章1~14節で、天の御国の例えとして結婚の披露宴が取り上げられている。 黙示録19章7節に子羊の婚姻のときの記事もある。
座席が決まってない披露宴で、上座を選ぶ心理は何だろう。 私は、有名な役人だし、新郎の面倒を見たこともある。 私は、新郎といつも一緒にいたし、親しい仲間だ。 私は、こんなことが出来るし、こんなことをやってきた。 私はという思い上がりか。 たんなる無神経か。
(私の脳裏をかすめる言葉) ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
(私の感想) 最近、礼儀作法に関心を持つ人が増えているのだろうか。 TV番組で作法の形を教えている。 イエスは、作法の形ではなく、真の謙遜を教えようとされている。
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