花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/04/24 8:46:41|その他
正造翁 人力車不使用の誓い
 正造はこの誓い(人力車を二度と
使わない)を厳格に守り通すことが
できなかった。
 
 正造は絶えずあちこちを旅して
回つたため、多くの車夫の知る所と
なり(略)貧者の友として、また、
常に(なみはずれた)礼でもって〜
 
 こんな訳で、正造はしばしば
ただで車に乗せてもらう〜(略))
要するに、正造は、子供も車夫も
大好きだったのである。
 
「引用」
田中正造伝、嵐に立ち向かう雄牛、
ケネス・ストロング・著。同書、原注p426。
 
 







2021/04/23 10:36:56|その他
正造翁 誓約違反
 正造が人力車を二度と使わない
と誓約していたこともあって(河川
視察旅行)ほとんどの場合徒歩で
なされた。
 
 田中正造伝、嵐に立ち向かう雄牛、
ケネス・ストロング著、「治水は天の
道ちなり」p347。
 
 本筋から離れますが、引用文の
注目点は二つ、
一つは、正造翁が人力車を良く利用
していたこと。もう一つは、誓約が
守られなかったことです。
 
 この答えは「同書の原注」に詳しく
説明があります。長くなりますので、
次にお便りします。喝
 







2021/04/22 11:53:59|その他
正造翁と人力車
 明治43年(1910)正造翁
齢、70才、渡良瀬川洪水、余生を
「治山治水」に当てると決意。
 
 前年、明治42年、日記に、国家の
ため、国家のためと唱へて、山林を
盗ミ、洪水を出し、村を流し、村を
潰し、〜。
 
 明治45年、真の文明は〜日記に。
 
 そしてこの間、治山治水の河川調査、
正造翁が人力車を二度と使わないと誓約して?
田中正造伝、ケネス・ストロング著の一節が〜? 喝
 







2021/04/21 10:11:17|その他
熊沢蕃山と田中正造

2012年10月4日、里便り。
 
 古河市の鮭延寺にある
熊沢蕃山ご夫妻の墓を
訪ねました。

 田中正造の日記に、蕃山
没し、まもなく奥さんもと
ありますが、蕃山は妻に
先立たれています。

 蕃山ー予は武士ナリ。
 正造ー予は下野の百姓ナリ。

 蕃山ー人は誠なり。
 正造ー人は愛なり。

 熊沢蕃山と田中正造の
軌跡を追いかけ、お便り
します。喝







2021/04/20 9:10:28|その他
二人の偉大な思想家
 里便り2012年10月5日再掲。

 真の文明ハ山を荒らさず
川を荒らさず、村を破らず、
人を殺さヾるべし。

 田中正造、明治45年(1912)
6月17日の日記です。

 1909年明治42年12月19日の
日記には、
 国家のため、国家のためと
唱へて、山林を盗ミ、山を盗ミ、
洪水を出し、村を流し、村を潰し、
古ニなき大毒海の如きを造り、以て
窮民を造り多く人を殺す。
国家のためとハ何を。

 一方、熊沢蕃山は貞享3年(1686)ごろ、
「大学或問」を著し、この中で、
山川は国の本なり。近年山荒川浅く
なれり。是国の大荒なり。略、
仁政にては百年の間には本の山川に
帰るべし。

 偉大な思想家二人の軌跡を辿り、
お便りします。喝