花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2022/01/22 12:59:19|その他
田中正造 山と川との共生年譜A
 明治34年(1901)辛丑 61歳
10.23 衆議院議員を辞職。
12.10 直訴
 
 明治37年(1904)甲辰 64歳
7.30 谷中村に入る。

 田中正造、谷中村でやったこと、
やろうとしたことは、二つ。
一つは、川の流れの特質調査。
もう一つは、調査で得た「山川の妙理」
(正造の造語)自然と共に生きる悦びを
人々に知ってもらうこと。

 明治39年(1906)宇都宮で「治水と人権」演説。
栃木県会治水問題意見書作成関与。
 明治40年「水害・地勢・水勢・風波論」演説。
四県治水有志交換仮事務所設置。等々。喝
 
 







2022/01/21 15:25:00|その他
田中正造 山と川の共生年譜
 明治34年(1901)辛丑 61歳
10.23 衆議院議員を辞職。
12.10 直訴
 
 東京ノ北40里ニシテ足尾銅山アリ。
<加フルに>此年山林ヲ濫伐シ〜
水源ヲ赤土と為セルが故ニ
 
 明治37年(1904)甲辰 64歳
7.30 谷中村に入る。
 
 明治43年(1910)庚戌 70歳
8.10〜11 関東大洪水。
 
 この水害が直接の契機となって、正造は
自分の余生を、谷中の日々の問題に煩わされ
ない時間の限りを「治山治水」の問題にあてよう
と決心する。
 







2022/01/20 12:45:09|その他
地球環境の先覚・先駆者 田中正造
 1911年(明治44)11月、
正造の後援のもとに「下野治水
要道会」という名の組織が設立
される。
 
 新しい組織は東京及び五つの県で
死活にかかわる川の問題を、自分たちの手で
解決していこうとした。
 
 特筆に値するほっどの成果は
あげられなかった。正造の考え方を
支持したのはほんの一握りであり、
正造のひたむきの活力までは
持ち合わせていなかった。
 
 今少しの思慮があれば、正造が
時代遅れどころか時代の先々を見越して
いたことがわかった筈であるが〜
              喝
 
 「引用」
 K・ストロング著「田中正造伝」要旨。
 







2022/01/19 12:16:16|その他
世界の願いと田中正造
 世界の願いは、国連が掲げるSDGs17の
目標です。ストップザ地球温暖化、気候変動の
対応、誰ひとり取り残さない平和な未来のために。
 
 足尾鉱毒事件の解決に生涯を捧げた
田仲正造は、地球環境破壊に身を賭して
闘った先駆者と言えます。
 
 田中正造が、山、川そして、まずなによりも
人の命と暮らしを守るため闘った足尾で、
SDGs17の目標達成に貢献するNPO法人の
活動を知りました。
 
 田中正造の遺志を現代に蘇らせよう(室田武)
世界の願いに応える動きが増えるよう期待し、
陰ながら応援、お便りします。喝
 







2022/01/18 16:44:43|その他
谷中村

 渡良瀬遊水地に遺る旧谷中村跡地を
訪ねると、正造サンの息遣いを感じます。

 明治37年(1904年)正造サンは
着たきりスズメで谷中村に入りました。
着替えに困り、縁者へSOSの手紙を
出しています。

 正造サンの書簡集6巻の大半が、
この谷中村時代に、内外から投函した
手紙、ハガキで占められています。

 正造さんの手紙運動を支えた、当時の
郵便事情は?念ずれば花開く。喝
 
 2012年7.11。再掲。