花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/12/19 11:56:39|その他
正造 初心忘れず
 明治34年(1901)田中正造、61歳。
12月10日、直訴決行、
 明治37年7月、正造、64歳。
鉱毒問題解決に専念するため谷中村に
居を移す。(年譜)
 
 この間、明治35年知人に宛てた手紙に
添えられた歌。
 
 瘠せかれて 憐れはかなき 竹さゝも
又のび返る 時ㇵ来にけり
 
 瘠せかれて 影ㇵ憐れに 見ゆるとも
竹ㇵ真すぐの こゝろなるべき
 
 毒流す わるさやめずバ 我止まず
わたらせ利根に 血を流すとも 正造
 
同年6月、正造病気、5年ぶりに、故郷
小中村に一時、帰っています。喝
 
 







2021/12/18 12:01:33|その他
田中正造 妻へ再活宣言
 明治34年(1901)12月10日、
田中正造、直訴決行、失敗!?
「已来謹み居候に付」
同月18日、妻カツ夫人へ手紙。
 
「但し其筋より謹ミ申し付けられたる
ものにあらず。只自分にて謹ミ候
次第に候」
 
 これが正造の性格であり、妻への
手紙は、正造再活宣言デス。
 
 カツ夫人の身を気遣いながら、
月並みな言い方をすれば、こころは、
すでに、渡良瀬沿岸、足尾鉱毒事件
被害民救済に飛んでいる。喝
 







2021/12/17 13:49:06|その他
直訴後 妻への手紙
12月18日
 正造よりかつ子江

 去る十日にㇵ恐入候次第にて、
已来謹み居候に付、此段御承知
なさるべく候。
 
 正造ㇵ今よりのちㇵ此世に
あるわけの人にあらず。去る十日に
死すべき筈のものに候。
 
 当日ㇵ騎兵の内一人馬より落ちたるもの
なけれバ、此間違いもなくして〜
 
 正造は、相変わらず取り込み忙しく、
脳はわるくなり候も元気だから〜
病気がちのカツ夫人を、気遣い、直訴後
かつ子江宛てた手紙をしたためています。喝
 
 







2021/12/16 12:44:47|その他
30人 ニュース
 昔、サツ回りのころ、30人インタビューに
近い取材をしていました。
 
 キッタハッタ!?毎日あるわけじゃなし、
ニュースが薄い日には、マイクを持って、
カメラマンとマチに〜
 
 警察の統計モノ(交通事故や事件もの推移)が
好きで、今思えば、30人までは、いかないけれど
その手法でローカルニュースを飾って?きました。
 
 ニュースは、対話で生まれます。
30人インタビューを観て、これは世論調査の基本と
昔のラジオ街頭録音のTV合作。
 僅か30人、されど30人。喝
  







2021/12/15 9:43:29|その他
30人 インタビュー
 今朝、NHKTV、30人インタビューを
観て、現役時代の選挙取材、思い出しました。
 
 「ダレに投票しますか」有権者に直接聞く
カワリに、「太ったっヒト、メガネは?」
候補者の名前は言わずに〜、
 
 新人記者時代、先輩記者が前半、中盤、後半、
30人ずつ有権者に当たれと教えてくれました。
 
 おかげ様で、アイツの票読みは、正確だ!
一方で、彼奴は記者じゃない。世論調査員だ。
記者仲間から、冷たい評価も。喝