花ど真ん中の里便り
栃木県は日本の花ど真ん中です。
プロフィール
■ID
hanadomannaka
■自己紹介
生涯一記者
■趣味
囲碁。山野草。ハーブ。温泉。
メッセージ
メールにてメッセージを送ります。
(メールフォームへ)
カレンダー
<--
2024 / 11
-->
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
⇒今月
カテゴリー
・田中一村(2)
・役場の家計簿(0)
・山本有三(2)
・弓削道鏡(0)
・英内親王(0)
・田中正造(0)
・指定管理者(0)
・蔵の街選挙(18)
・拝啓 栃木市長様(2)
・蔵の街 アマテラス(42)
・週末花屋さん(4)
・お知らせ(1)
・私酒(20)
・車と暮らし(46)
・晃石山(テルイシサン)(1)
・報酬の上と下(6)
・蔵の街土砂条例(38)
・郷土の話題(2)
・役場のこころ(1)
・鉛筆一本渡世人(54)
・囲碁(2)
・新聞記者(3)
・自然 植物(2)
・ペット(2)
・健康(0)
・グルメ(1)
・こころの花(1)
・李下に冠を正さず(1)
・考察 蔵の街(20)
・蔵の街 新斎場(2)
・情報公開制度の危機(4)
・マイ ラグビー(1)
・メグスリの木(20)
・公約 給食費無料化の行方(8)
・その他(4533)
コンテンツ
・
正造翁の治水論考(5/5)
・
正造翁の名言は造語か(5/4)
・
正造名言 抑々(5/3)
・
胸を衝く正造翁の日記(5/2)
・
♪川の流れのように(5/1)
・
年寄りの冷や水(4/30)
(一覧へ)
検索
コメント
コメントする
・
2023超人気スーパーコピー最新作ブランドコピー最高品質時計(5/29)
・
川俣事件に思う。(10/28)
・
山の彼方(5/14)
・
現人神にたいする直訴状(4/7)
(一覧へ)
リンク
・
山野草「七草の里」
・
花ど真ん中のツイッター
・
太平山のおやじのつぶやき
・
お山の桜
・
軽井沢発地ベリー園の様子
(一覧へ)
携帯アクセス
読者になる
メールアドレスを登録すると、このページの更新情報が届きます。
(登録する)
投票する
このページをランキングに投票できます。
(投票する)
2022/02/17 9:46:36|
その他
谷中短信 正造報
[「毎日新聞」明治38年(1905)2.3]
谷中短信 ●其二
県官郡吏は谷中村を貯水池とせば、
隣村は水害を免るべしと誣言曲論するも
河を隔つる利根川邊の二村は四尺程低く、
(略)故に赤麻沼より寄せ来る大水は、
谷中の堤防を破り、(略)一躰の大湖水と
ならん、
利根川邊の二村民が、谷中村の買収に
反対し、堤防修築に助力せんと申出づるは、
之が為なり、
谷中村を貯水池とせば、隣村が水害を
免かれんといふ、県官郡吏の虚言を
證すべし(正造報)
「引用」
田中正造全集第三巻、P294。
コメントする
2022/02/16 10:29:54|
その他
田中正造報 毎日新聞 谷中短信
田中正造、谷中村入村2年目、
明治38年(1905)2.3~2.20に
かけて、合わせて七回、谷中短信を
毎日新聞に「寄書」しています。
●谷中村短信の一 谷中村より
四十人の兵を出して目下不在中に(略)
先祖の墳墓をも併せて買収せられんとす、
二百五十戸の一村は、變じていけとなり(略))
妻子は離散し(略)戦地より帰る軍人は、居るに
家無く(略)
天下の恨事之に過ぐる者あらんや(田中正造涙を
揮ふて寄書す)
「引用」
田中正造全集第三巻P294
コメントする
2022/02/15 8:46:30|
その他
谷中より 正造
明治37年(1904)7.30、
田中正造、64歳、谷中村に入る。
8月13日、大出喜平様、封書。
(価値ある発見)
谷中村にてすらも鉱毒の害と言ふ事を
忘る。
百人中九十九人ㇵ只水害と言ふ。
又一方市兵衛派の流言及村中の悪漢等が
鉱毒を口ニせず、只水害々々と唱へるより〜
憐れニも亦憐れなり。谷中より 正造
コメントする
2022/02/14 11:26:52|
その他
田中正造 お山の大将 下りる
「わからないことは聞きにこい」
明治37年(1904)田中正造、お山の
大将気取りで谷中村に入りました。
村民に交って住むこと3年、谷中村を
襲った大洪水、救けに向かった正造、
波間に浮かぶ家屋からテコでも動かぬ
村民。
知人に宛てた明治40年当時の手紙、
8月24日、只今ノ報に三国橋一丈八尺ㇳ
ナレリ。一時毎に一尺ヅヽ増セリト。
8月25日、今朝来堤防騒ぎ、最早谷中ニ行く事
出来ず。
8厚29日、電信文
トチギケンㇵヤナカ人民ニカギリ
救助ノ飯ヲ与へマセン
喝
コメントする
2022/02/13 13:09:55|
その他
田中正造 谷中の発心
田中正造が、教えてやる、話を
聞かせてやる、から、人の話を聞くに
姿勢が変わったのは、1907年(明治40)
8月渡良瀬川大洪水でした。
8月30日 逸見斧吉様[封書]
床下二寸水あり。時には怒涛、四壁
かべㇵなし。
正造の収容ニ応じもせざる如き、
他の人々も大小此類ニて候。
人ㇵ以て一概ニ侮れぬものか。
こっちは舟まで雇って援けてやろうと
しているのに〜その思いを恥じた正造、
改めて、谷中村初級生へ。喝
コメントする
<< 前の5件
[
76
-
80
件 /
4839
件中 ]
次の5件 >>
<< 最新の記事へ >>
[
easy my webトップ
|
HOME
|
▲ページ上部へ
]
[
easy my web
]
COPYRIGHT © 2006-2012 Cable TV Co.,LTD. all rights reserved. ALL RIGHTS RESERVED.
Powered by
Loyal Planning Co.Ltd.
&
TriQ Association Inc.