花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2022/02/17 9:46:36|その他
谷中短信 正造報
[「毎日新聞」明治38年(1905)2.3] 
谷中短信 ●其二
 
 県官郡吏は谷中村を貯水池とせば、
隣村は水害を免るべしと誣言曲論するも
 
 河を隔つる利根川邊の二村は四尺程低く、
(略)故に赤麻沼より寄せ来る大水は、
谷中の堤防を破り、(略)一躰の大湖水と
ならん、
 
 利根川邊の二村民が、谷中村の買収に
反対し、堤防修築に助力せんと申出づるは、
之が為なり、
 
 谷中村を貯水池とせば、隣村が水害を
免かれんといふ、県官郡吏の虚言を
證すべし(正造報)
 
 「引用」
 田中正造全集第三巻、P294。
 







2022/02/16 10:29:54|その他
田中正造報 毎日新聞 谷中短信
 田中正造、谷中村入村2年目、
明治38年(1905)2.3~2.20に
かけて、合わせて七回、谷中短信を
毎日新聞に「寄書」しています。
 
 ●谷中村短信の一 谷中村より
四十人の兵を出して目下不在中に(略)
先祖の墳墓をも併せて買収せられんとす、
  
 二百五十戸の一村は、變じていけとなり(略))
妻子は離散し(略)戦地より帰る軍人は、居るに
家無く(略)
 
 天下の恨事之に過ぐる者あらんや(田中正造涙を
揮ふて寄書す)
 
 「引用」
田中正造全集第三巻P294
 







2022/02/15 8:46:30|その他
 谷中より 正造
 明治37年(1904)7.30、
田中正造、64歳、谷中村に入る。
 
 8月13日、大出喜平様、封書。
(価値ある発見)
谷中村にてすらも鉱毒の害と言ふ事を
忘る。
 
 百人中九十九人ㇵ只水害と言ふ。
 
 又一方市兵衛派の流言及村中の悪漢等が
鉱毒を口ニせず、只水害々々と唱へるより〜
憐れニも亦憐れなり。谷中より 正造
 
 







2022/02/14 11:26:52|その他
田中正造 お山の大将 下りる
 「わからないことは聞きにこい」
明治37年(1904)田中正造、お山の
大将気取りで谷中村に入りました。
 
 村民に交って住むこと3年、谷中村を
襲った大洪水、救けに向かった正造、
波間に浮かぶ家屋からテコでも動かぬ
村民。
 
 知人に宛てた明治40年当時の手紙、
 
8月24日、只今ノ報に三国橋一丈八尺ㇳ
ナレリ。一時毎に一尺ヅヽ増セリト。
 
8月25日、今朝来堤防騒ぎ、最早谷中ニ行く事
     出来ず。
8厚29日、電信文
      トチギケンㇵヤナカ人民ニカギリ
     救助ノ飯ヲ与へマセン
                喝
 
 







2022/02/13 13:09:55|その他
田中正造 谷中の発心
 田中正造が、教えてやる、話を
聞かせてやる、から、人の話を聞くに
姿勢が変わったのは、1907年(明治40)
8月渡良瀬川大洪水でした。
 
 8月30日 逸見斧吉様[封書]
床下二寸水あり。時には怒涛、四壁
かべㇵなし。
 
 正造の収容ニ応じもせざる如き、
他の人々も大小此類ニて候。
 
 人ㇵ以て一概ニ侮れぬものか。
 
 こっちは舟まで雇って援けてやろうと
しているのに〜その思いを恥じた正造、
改めて、谷中村初級生へ。喝