花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/02/25 10:43:46|その他
正造サンの手紙〜あれもこれも〜
 「小生儀(田中正造、61歳)
今回限り位にて議員は切り上げに
致度決心に候」

 国会議員辞職決意の手紙が
郷里の名望家に届いてひと月も
経たぬのに、口止めのお願いが〜
 
 閑話休題、その前に、正造サンが、
同じ日に、同じ人に送った別の手紙に
書かれた歌。
 
くるとしも又くるとしもくるとしも
くる〜〜めぐるとしハくる〜〜
 
 カタや深刻な議員を辞める話、
コナタ迎春の歌?これが、日向康氏の
喝破した正造翁、多角的思考の象徴です。喝
 







2021/02/25 9:22:17|その他
お知らせ
「正造サンの手紙〜三羽烏〜」は
「正造サンの手紙〜名望御三家〜」へ
タイトル変更。
 
 三羽烏、三君は、名望家と
自発的に表現します。喝
 







2021/02/24 18:10:02|その他
正造サンの手紙〜三君〜
 
 田中正造が国会議員を
辞めるよ!手紙で打ち明けた
三君の名前、全集で確認し
ました。
 
 田中正造サンは1841年生まれ
次に三君の名前と生年月日
川俣久平君(1847)
村山 半君(1856)そして
蓼沼丈吉君(1862)の生まれ。
 
 三君のプロフィ〜ル、それぞれ、
県議、町長、多額納税者、銀行設立者、
正造サンを物心両面に亘って支えました。
 
 次は、なぜ君は?の流れ〜

 田中正造国会議員辞職、
三君に手紙打ち明けた
明治34年(1901.10.23日。
 直訴事件
同年12.10日。喝
 







2021/02/24 18:07:48|その他
正造サンの手紙〜名望御三家〜
 拝啓仕候。先日突然の如くに
小生(田中正造)今回限りにて
辞職致度候間、略
 
 田中正造全集第十互巻、P220。
二月五日(明治34年1901)
村山、蓼沼、川俣三君。
 
 (実は)君ら三君には「只愚意の
見込みを申上候次第なれば〜略
一時前便(前の手紙)議会閉会まで
御預り〜云々。但し取消には無之候。
 
 新聞記者時代、アンタだけには
喋ったが、暫く待ってくれないか、
その経験は、記者の勲章です。喝
 

 







2021/02/23 12:49:02|その他
正造サンの手紙 〜恐懼々々〜
 此儀(村山、蓼沼、川俣三君に
田中正造、国会議員辞職を事前に
手紙で打ち明けたこと)少々
軽率のお叱りもあらん。恐懼々々。
 
 明治34年(1901.2.5日)
村山 半様、東京、病気中 正造
田中正造の面目躍如!
 
 正造サンは、20余年間、政治活動を
やってきたけど、何もできなかった。
老へて止むなく後進に道を譲る〜。
 
 これを正造サンのホンネと
受け取るか、どうか、
なぜ田中正造は国会議員を
辞めて直訴に奔ったのか。
それが田中正造、理解の分かれメ
デス。喝