さくら&ももの徒然日記

さくら(犬)もも(猫)と生活を共にしている団塊世代の初老の爺です。毎日暇を持て余し此処を利用して少しでも活力が湧いてくることを念じつつ始めて見る気になって元気が湧きだしてくればいいなぁ〜〜〜と。
 
2018/06/02 19:30:00|コウノトリ観察記
今日のひかる君A
午後3時に遊水地に向かう。
ひかるがいるではないか。ゆっくりと休んでいるようだ。
なんと仲間が2羽もいるではないか?
小山市で設置した偽コウノトリと一緒に。(見たことのある人は判るとおもうが・・・)
今日は9時過ぎから遊水地にいるようだ。5時頃飛び立ち塒に向かったのかな?







2018/06/02 19:00:00|コウノトリ観察記
今日のひかる君@
午前6時に友から電話が入る。
ひかる君が何時もの田圃にいると・・・
丁度出掛けようとしていたので急いで現地に向かう。
相変わらず食事の真っ最中。
ここで約2時間撮影を。







2018/06/01 22:00:00|コウノトリ観察記
ひかる君は今何処に?
4~5日前に遊水地付近に戻って来たよ。
宇都宮市から鹿沼市方面に遊びに行っていたんだよ。
あちらには豊富に餌が無くてこっちの方が餌も豊富だし栃木市の方がいいよ、とひかるは言っていたかどうか?
あとはお嫁さんが見つかれば言うこと無いんだけどなぁ〜〜〜。
遊水地に住み着いてくれれば最高。







2018/06/01 18:45:00|御朱印
永光寺  牡丹不動尊

概要[編集]

道楽山、地蔵院と号す。承和10年(843年)に無善和尚によって開山された。その後、天明2年(1782年)、第18世の宥覚の頃に伽藍が整い、数多くの末寺を有して隆盛を極めた。寛政3年(1791年)には、殿堂供養塔が建立されている。この塔は無善和尚の徳を称えて建立されたものである。そこには門人の数都合21人と記されており、当時の隆盛ぶりが窺い知れる。参道を登りつめれば、正面に巨大な石造の不動明王が法安されている。左に入った所に入母屋造り、瓦葺の本堂があり、ご本尊である不動明王が安置されている。境内には8メートルの高さの牡丹観音像(石像)やミニ四国霊場もある。

永光寺は、「花の寺」としても知られており、4月から5月頃には、牡丹5000株などが咲く。その花に魅せられて参拝に来る人々は数万人にも及ぶといわれる。牡丹以外にも、梅、桜、石楠花、ツツジ、アジサイなどがみられ、年間を通じて花の絶えることがない寺である。

寺宝[編集]

  • 殿堂供養塔
  • 大日如来
  • 十一面観音
  • 五鈷鈴
  • 中国製香炉

葛飾坂東観音霊場[編集]

永光寺は葛飾坂東観音霊場の番外札所である。ご詠歌は 「なにごとも 尾崎の寺のかんぜおん たのむ姿ぞ うつくしきかな」[1]

葛飾坂東観音霊場では各寺院に「ご詠歌」があり、参拝時にご詠歌を唱えることは、経文読唱と同じ功徳があるとされる。[
※全ての牡丹は咲き終わってしまったが広い境内には立派な牡丹観音像が立っていた。








2018/06/01 18:30:00|御朱印
結城諏訪神社
諏訪神社に向かう。
ここも歴史のある神社でした。
朱肉の色が金色だ。

概要[編集]

下総国結城城下町であった結城市に位置する。結城氏の祖とされる藤原秀郷が造営したとされる[1]。 毎年4月3日に行われる祭事において奉納される太々神楽(だいだいかぐら)は茨城県指定文化財無形民俗文化財)に指定されている[2][3]

祭神[編集]

歴史[編集]

940年天慶3年)に藤原秀郷が朱雀天皇平将門の討伐を命じられた(平将門の乱)際に、諏訪明神に戦勝祈願を行った。 戦勝後、勝利を感謝した秀郷が祈願をした地に諏訪神社を造営したとされる[4][5]。 後に秀郷の末裔である小山氏結城氏山川氏などによって祀られた。なかでも山川綾戸城を居城とする山川氏では歴代の鎮守神として祀られた[1]

祭事[編集]

  • 破魔弓祭(はまゆみさい)
藤原秀郷が戦勝祈願を行ったとされる日(940年(天慶3年)1月27日)にちなみ、毎年1月27日に行われる。
「勝厄」と書かれた的に向かって矢を放ち、厄よけを祈願する[4]
  • 例祭(れいさい)
例大祭(れいたいさい)とも。神武天皇の命日とされる神武祭に合わせ、毎年4月3日に行われる。
この祭事中、神楽殿にて奉納される太々神楽は茨城県指定文化財(無形民俗文化財)に指定されている[3]