道楽山、地蔵院と号す。承和10年(843年)に無善和尚によって開山された。その後、天明2年(1782年)、第18世の宥覚の頃に伽藍が整い、数多くの末寺を有して隆盛を極めた。寛政3年(1791年)には、殿堂供養塔が建立されている。この塔は無善和尚の徳を称えて建立されたものである。そこには門人の数都合21人と記されており、当時の隆盛ぶりが窺い知れる。参道を登りつめれば、正面に巨大な石造の不動明王が法安されている。左に入った所に入母屋造り、瓦葺の本堂があり、ご本尊である不動明王が安置されている。境内には8メートルの高さの牡丹観音像(石像)やミニ四国霊場もある。
永光寺は、「花の寺」としても知られており、4月から5月頃には、牡丹5000株などが咲く。その花に魅せられて参拝に来る人々は数万人にも及ぶといわれる。牡丹以外にも、梅、桜、石楠花、ツツジ、アジサイなどがみられ、年間を通じて花の絶えることがない寺である。
- 殿堂供養塔
- 大日如来
- 十一面観音
- 五鈷鈴
- 中国製香炉
葛飾坂東観音霊場[編集]
永光寺は葛飾坂東観音霊場の番外札所である。ご詠歌は 「なにごとも 尾崎の寺のかんぜおん たのむ姿ぞ うつくしきかな」[1]
葛飾坂東観音霊場では各寺院に「ご詠歌」があり、参拝時にご詠歌を唱えることは、経文読唱と同じ功徳があるとされる。[
※全ての牡丹は咲き終わってしまったが広い境内には立派な牡丹観音像が立っていた。