大津 孝行先生のお話から 主要テキスト:ヨハネ1章1~5節
Ⅰ.イエスが私のために死んで 私はフルート演奏が専門ですが、最近は音楽朗読劇もやっております。 神様との出会いと救いの証詞を致します。 私がフルートを始めたのは小学五年生の時でした。 教会には4歳の時に興味があって家の近くの教会の前を通ると胸がわくわくして、ここにはいい事があると思い、大人になったら行かねばならないと思っていました。 私は自分の意思で日曜学校に行きました。 一方、私は体が弱くて、アレルギー体質で、喘息で、何度も死線をさまよいました。 そして教会から離れていた中学生の時、家の近くにアメリカの宣教師が越してきましたので、また教会に行くようになりました。 しかし、後から来た人たちがどんどん洗礼を受けていくのを見て、取り残されたような気分になったのです。 そして私がこのまま自動車事故で死んでしまったら地獄にいくと考えると恐くなり、日曜学校で頂いたみことばカードのことばが脳裏を駆け巡りました。 ビリーグラハム大会に参加し、信じられないのに前に出て、祈ってもらう経験もしたが、やはり信じられなかった。 けれども、その時ばかりは黙示録3章20節 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。・・・・」 とのみことばで、心をゆすられ、イエス様が戸を叩いていたのに、私が開けなかったのだと気付いて 「イエス様ごめんなさい。わたしの罪を赦してください。」 と祈り、洗礼を受けたいと牧師にお話をしました。 その時、ガラテヤ2章20節のみことばをいただき、イエスが私のために死んでくださった事が分かったのです。
Ⅱ.父の死と音楽葬 一人ひとりがイエスに出会って信じるのだなぁということです。 ですから、イエスを伝える時の私たちは案内人であって、いのちの水を飲むかどうかを決めるのは、その人とイエス様の問題です。 私の父は自分の商売に失敗して倒産し、ストレスの中で肺ガンが確認され、3日後になくなりました。 父を神様がどのように導くのかと祈っておりましたら、召される一時間前にイエスを信じますと告白致しました。 それで音学葬をもって送りだしました。 これらの事を通して私たち家族の上に素晴らしいみ業が起りました。 他の方も同じような告白をしたからです。 その時に、あの 「千の風になって」 が思い出され、こんな良い歌をと思いながら歌詞を替えて 「天の神に会って」 として替え歌としました。
Ⅲ.命がけで聖書を運ぶ人 私は2010年1月1日から、朝ごとに聖書を読ませてくださいと祈りました。 不思議と今日まで続けさせていただいており、その霊的祝福は日々大きくなっています。 今の日本は、経済的に恵まれておりますが、神への感謝を忘れて、何でも有って当たり前、平和ボケしてしまっております。 今でも、クリスチャンとして生きようとして迫害されている人がおり、聖書を手にすることさえ禁じられている国々があります。 命がけで聖書を運ぶ人、命がけで宣教している人もおります。 なぜでしょうか。 それはみことばは生ける神のことば、真理そのもので、命をかけるに値する最も気高いことだと確信したからでしょう。 ギデオンの人たちは、今も聖書をアフリカなどに届けています。
Ⅳ.ことばは神 神は、私たちに直接語ってくださるために、イエス・キリストという御姿をもって地上に生まれました。 罪深い遊女や取税人ザーカイなど、しいたげられた人々に優しい言葉をかけて下さいました。 イエス様が十字架に架けられ三日目によみがえり、その後天に昇りました。今、私たちは聖霊によってイエス様と交わることが出来ます。 そして聖書を通して神のことばを聞く事が出来ます。 ヨハネ1章1節に 「・・・・ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」 とありますように、ことばは神であり、いのちです。 みことばは光です。 みことばは私の人生の道であり、行くべき方向の目印としての光です。 みことばは人間を変える力があります。 みことばは、私を励まし、力づけ、父に救いをもたらし、人をも変えました。
Ⅴ.お勧め ですから毎朝、聖書を1章だけでも読んでください。 新しい事がはじまります。 ヨハネ1章5節、神のことばと共に歩むなら、サタンは逃げ去ります。みことばによって暗闇から勝利する事が出来ます。
|