蔵の街ライフデザイン

提案する力で地域の発展を担う中小企業の繁栄に貢献したい!
 
2017/05/11 17:46:53|その他
才能論と努力論
久しぶりの投稿です。

エジソンは99%の努力は1%のひらめきに勝てない、と言いました。

その通りだと思います。

日本人は、努力すれば、なんでもできるようになると思いがちです。

こうした信念は、単なる間違いであるばかりでなく、危険でもあります。

才能も努力もベクトルで表現できるとするならば、

自分の才能の方向に合わせて、努力する方向を合わせることが、

まずは、肝心です。

ベクトルの方向が合っていればこそ、才能を伸ばすことができ、

努力すればするだけ早く、社会的有用性を獲得できるのです。

ベクトルが真逆の努力をしていれば、才能が開花するのが遅れるだけ。

では、

どうしたらその分野の才能があるかないかを推し量ることができるのか?

おそらく、それは「どの分野で探求心を発揮できるか?」に尽きるでしょう。

以下の例示は、最高レベルの才能です。

解釈の指針と条文を与えられさえすれば、ある程度、妥当な規範定立

ができてしまうような人なら、難関な司法試験でも楽勝なはずです。

基本的な仕分けのルールを知っていて、個別の会計的な事象を与えられたなら

独力で適切な仕分けを考案できるなら、会計の分野では、才能がありますね。

定義だけを与えられれば、成り立つ定理を次から次へと見つけ出せてしまう

なら、それは、数学の才能があるといえます。

駒の動かし方を覚えただけで、対戦を楽しめてしまうなら、

それは、将棋の天才です。

基本的なルールだけを覚えただけで、

その分野で成り立つ法則を次々と発見できるような人は、天才です。

学んで天才と肩を並べるくらいのことができるようになったら、秀才です。

天才は努力を必要としません。

秀才は、わずかな努力しか必要としません。

秀才は、天才を模倣してなんとか天才に近づきます。

ただ、それだけのことです。

このように独力で探求することができる分野であれば、

その分野では才能があるのです。

努力しても身につかないから、その分野では、全く才能がないのです。

あらゆる分野で才能を発揮できる人もいるかもしれませんが、

おそらく、ある程度、才能のある分野で努力をした人は、その成果を

分野横断的に発揮できる可能性があります。

であれば、才能のない分野では決して努力せず、

才能がある分野で努力したほうが、良いのです。

結論としては、短所は諦めて受容し、長所を伸ばすことに専心すること。

これに尽きる気がします。

以上です。



























 







2017/05/07 14:48:17|研究
「寄り添い」を省察する。
省察とは、反省ぐらいの意味ですが、

世の中には反省することができない人の方が多いので、

そういう人たちに立ち替わって、省察をしてみますね。

特に、福祉業界では、「寄り添い」という言葉がもてはやされますね。

いかにも福祉的行為の本質を言い表した言葉だな、と思います。

しかし、私の知る限り、この「寄り添う」という作法を

満足に身に着けている福祉従事者はいません。

人それぞれに勝手に「寄り添う」を理解している状態だ、

という認識すら乏しいから、共通了解を図るためのコミュニケーションすら

全くできていません。

各自が勝手なイメージを持って、独善的に行動しているのですから、

支援を必要とする人に非組織的にしか対応できません。

お題目を唱えれば、共通了解が生じるとでも勘違いしているかのようです。

そのためもあり、

「寄り添われた」という体験を彼らの行為から経験したことはありません。

そして、第三者として、確かに「寄り添っている」と思わせる対応を

観たことがありません。

そして、彼らは十分に省察していませんから、

支援を必要とする人への対応は失敗の繰り返しで、成長が見られません

これでは、いくら福祉業務に従事しようが作法として身につきません。

彼らは「寄り添う」とは、どういうことですか?

ということを明確に答えることができません。

応答できないということはなんの責任を果たしていないことです。

彼らは具体的にどうすることなのか、応答する義務があるのです。

それが、プロフェッショナルの道を歩み始めるということなのです。

応答できないことが職業人としての地位の低さの一端を作っています。

それは、とても残念なことです。

改めて、「寄り添う」について、必要な能力は何だろうか?

それは「人を愛する能力」にほかなりません。

したがって、

資格を取得するための知識からはそうした能力は涵養されません。

人に愛されることばかり考えている人こそ、適性がないのです。

さらに、ただ依存させることは、愛がある行為とは言えません。

愛することは技術が必要なことなのです。

だから、「寄り添い」というのは、

まず、支援が必要な人と支援する人の間に成立する「愛のある関係」であり、

それは、愛する技術が適切に応用されている人間関係の一つである。

とは少なくとも言えるのです。

もちろん、これだけでは何のことかまだ分からない。

だから、共通了解を広く深くするために、

福祉従事者は必要なコミュニケーションをとる必要があるのです。

本当に独善的な人が多くてうんざりします。

まず、「私は寄り添えていたのか?」を周りの人に確認するべきであり、

他人を寄り添えていないと中傷・批判することをやめたらどうですか?

前者は、謙虚な態度の表れであり、後者は傲慢の極みでしかありません。

スタッフは対等な関係で相互に理解できているんですか?

これらを、よく省察して実践に生かしてください。

ではまた。

















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2017/05/02 22:34:44|蔵の街ライフデザイン
生業と賑わい。
久しぶりの投稿です。

栃木市の市民活動推進センターに行ってきました。

そこで、利用者向けのアンケート用紙を渡されたので、

記入しようと思いましたが、うまく意見を出せませんでした。

そこで、副センター長と話をしました。

栃木市は「ボランティア推進」センターではなく、

「市民活動推進」センターと名乗っているが、

それなりに意味を込めているはずだ、というところから話が入っていき、

市民活動はなかなか定義が難しい、ということを確認し、

結局、特定の政治団体や宗教団体・営利団体の活動を除いた活動だ、

としか言えないのかもしれない、という結論から、

でも、一般的な経済活動は市民活動の外延を構成するだろう、

みたいな話になりました。

帰り際、地域活動が停滞したのは、自営業者が減ったことが大きな要因だろう

という考えから、生業づくりが大事だろう、という話になり、

第二ラウンドは「生業」についてだね、

ということで一旦、話は終わりになりました。

大体、高校を卒業したら、都会で働いて、親が倒れるまでは田舎に戻らないこ

とが多い地域だから、有権者としては20代、30代、40代が数として

絶対数が少なく、50代より上で地域の人口が構成されているのは、

田舎で仕事を持つことが非常に難しいからなんだよな、と思いつつ、

では、どうしたら、生業を持てるのかを考えてみたらいいんだな、

と感じつつ、「需要の見える化」で起業リスクを低減したらいい、とも

思ったね。

そして、「多様な生業」を担う多くの人たちが、「街の賑わい」を

創出するはずだ、という思いに行き着きました。

言い換えれば、

「賑わいのある街づくりは、多様な生業の担い手を育てることから」

ということが結論です。

ではまた。






 







2017/04/05 20:27:24|その他
経営学は役に立ちません。
久しぶりの投稿です。

さて、私は大学で「経営学」を学びました。

正確に言うと、「経営情報学」を専攻しました。

その経験から言わせてもらうと、

「経営学は役に立ちません。」

しかし、以下のような反論はあるかと思います。

本当は実用的な学問である数学を活用できないだけの人が、

「数学は役に立たない。」という主張と同様に、

本当は実用的な学問である経営学を活用できないだけの人が、

「経営学は役に立たない。」と主張しているだけなのでは?

という反論です。

この反論についての私の再度の反論はこうです。

確かに、大学の経営学は大企業において発生する問題を解決できるが、

そうした大企業は、例えば、日本では企業の1%しか存在せず、

残りの99%の中小企業の問題解決にはほとんど適用できません。

つまり適用できる対象領域が狭すぎます。

それに、アメリカ直輸入でしかない学問ですから、

日本の実態に合いません。

アカデミックな経営学ほど、日本ではそのまま適用できないです。

経験科学であるはずの経営学なのですが、

日本での経営的な経験を体系化したわけではないので、

安易な適用が、多くの日本人を不幸にしてきました。

ちなみに、

私の卒業した大学は、そうした自覚があるためか、

アカデミックであることをほぼ放棄しています。

役に立たない知識を授けるのは本当に罪なことです。

だから、

従来の「役に立たない経営学」の知識はほとんどすべて捨てましょう。

そして、

「役に立つ経営学」を再度、ゼロから構築したらいい。

だから、

私は、実践からセオリーを確立することを、

これからも研究課題にしていきます。

よろしく。






 







2017/03/22 11:35:00|蔵の街ライフデザイン
需要のあることをやるべし。
さて、

巷には、「自分の好きなことを仕事にすべし。」

という言説が、若者に強く影響を与えてしまっています。

社会人になって数年もすると気が付くのです。

まず、「食える仕事」を探さなくては駄目だと。

しかし、この堅実な親的考えは、子供には拒否されます。

若さゆえの愚かさが如実に表れるところですね。

もちろん、ついつい理解ある親を演じてしまうこともあるでしょうから、

親は子供のわがままを通してしまうことも多く、

結果、親も子供も現実的な問題を解決できないため、

高いお金をかけて「挫折」を買ったような状況に陥ります。

厳しすぎる言い方ですが、これは現実です。

「好きなことで経済的に成功する。」

ということを夢に掲げるほどに、世の中を知らないのだから、

職業人生の半分近くは雇われ人として働き、

社会や会社についての「実学」を学ぶべきです。

その間、鳴かず飛ばずで、「貯蓄」することをお勧めします。

お金があって、初めて、「好きなことを仕事にする」

という可能性が出てきます。

まあ、勤め人の立場でお金を貯めることがなかなか厳しいのですが。

さて、中年になって貯蓄も碌にないよ、という状況になっても、

「誰が、どんな商品・サービスであればお金を払うのか?」

という「具体性の高い確かな情報」を持っていれば、

まだ、生きていけるかもしれません。

年齢も高く、失業状態であれば、

もう「履歴書」は何枚書いても採用されないでしょう。

でも、「事業計画書」なら書けるのではないでしょうか。

何も、企業を起業しろと言っているのではありません。

自営業を始めて生業をもち、お金を稼ぐしかありません。

まだ、資本主義社会ですし、お金がないと「この辺りでは」生活できません。

では、そうした「需要」は、どうしたら知ることができるのか。

私は、どうしたらよいか、分かっていますが、ここには記しません。

誰も「宝物の在処」や「宝物の探し方」まで教えません。

当たり前ですね。

自分で考えるべきところでは、自分で考えましょう。

一見、私のふるまいは高飛車に見えるかもしれませんが、

読者を、

「大人扱い」

しているだけなので、ここはご理解していただきたい。

では、また。






















 







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